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“イチローの師”が広島から送り出す、
「アンパンマン」松山竜平の愛と勇気。 

text by

田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byHideki Sugiyama

posted2013/08/07 12:10

“イチローの師”が広島から送り出す、「アンパンマン」松山竜平の愛と勇気。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

小学三年生の時にソフトボール少年団から競技をはじめ、九州国際大時代には全日本大学野球選手権で早大の斎藤佑樹から二塁打を放っている。

「結果ばかりを求めてバッティングが小さくなっていた」

 九州国際大で九州六大学リーグ新記録となる通算122安打をマークしたこともあって、2008年の入団当時はその打撃が高く評価されていた。

 しかし、大学野球での力がそのまま通用するほど、プロの世界は甘くなかった。

 1年目からウエスタン・リーグ最多安打と打点王のタイトルを手にするなど、ファームでは早くもレギュラーに定着した一方で、一軍では'10年までの3年間で出場はたったの2試合とアピールしきれず苦しんだ。

 '11年には一軍で68試合に出場し、2割7分とまずまずの成績を残した。'12年のオープン戦では4割3厘の高打率で首位打者となりブレークの兆しを見せたが、シーズンに入ると打撃は沈黙。48試合で2割4厘と首脳陣の期待を裏切った。

「結果ばかりを求めてバッティングが小さくなっていた」

 松山は昨年までの自分をそう分析する。プロではありがちな症状だ。「結果」という一義的な目標に固執するあまり、消極的なスイングになってしまうものなのだ。

新井宏昌コーチの指導で急上昇、大谷翔平に浴びせたプロの洗礼。

 そんな悪循環を断ち切ってくれたのが、昨秋に打撃コーチとなった新井宏昌だった。

「お前は器用だからどんなボールでも当ててしまうけど、ストライクゾーンに入ってくるボールだけを狙え」

 オリックスのコーチ時代にイチローを育てた名伯楽に指導を受けるようになって、松山の姿勢は徐々に変化していく。

「今年がダメならクビだと思って自分にプレッシャーをかける」。不退転の決意で臨んだ今季、休日のマシン打撃を精力的に行うなど歩みを止めない松山が報われ始めたのは、交流戦に入ってからだった。

 それまで2割3分台だった打率が、日々の鍛練、「ファーストストライクを積極的に狙え」といった新井コーチの教えを貫くことで急上昇。瞬く間に3割に乗せた。交流戦最後の試合となる6月18日の日本ハム戦では、大谷翔平にとって初被弾となる一発を放ち、ゴールデンルーキーにプロの洗礼を浴びせた。

「(プロの世界は)そんなに甘いもんじゃないというのを教えたかった」

 5年もの間、一軍に定着できずもがき苦しんできたからこそ、自分のバットでプロの厳しさを伝えたかった――。そんな松山の想いが乗り移った本塁打だった。

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