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<競泳育成の新スタイル> 平井伯昌コーチと東洋大水泳部、常識への挑戦
text by
折山淑美Toshimi Oriyama
photograph byTakao Fujita
posted2013/07/19 06:01
左から田垣貞俊コーチ、山口観弘、金指美紅、宮本靖子、萩野公介、内田美希、平井伯昌監督。
平井がコーチを目指した契機、そして大学に戻った理由。
平井がコーチになろうと思ったキッカケは、'84年のロサンゼルス五輪で日本代表選手の大麻吸引が発覚し、水泳界を追放された事件だった。現場の規律が乱れているのでは、と将来への危機感を感じたという。だから、上下関係や挨拶、礼儀などに厳しかった大学水泳の良さをスイミングクラブにうまく融合できればもっと良くなるかもしれない、と卒業後は東京SC(東京スイミングセンター)に就職した。そこから一回りしてまた平井は大学水泳に戻ってきたのだ。
「東スイで27年間やってきて思ったのは、今度は大学水泳にスイミングクラブの良さをフィードバックしたいということだったんです。今の学生は僕らの頃と違って平等意識のようなものがあって、白黒を付けないようなところがあると感じます。スイミングクラブの競争意識や『目指すのは世界だ』というスタンスを持ち込みたいと思ったんです」
大学の水泳部を指導する上で、日本学生選手権の総合優勝を目指さないわけではない。だがB決勝の順位まで得点に加算される現行のルールでは、選手を数多く出さなければ優勝の可能性は低くなる。ならば違う目標を持つしかない。それが世界選手権や五輪での複数の金メダルや世界記録などである。国内や大学同士の戦いで勝つことだけに充足するのではなく、“世界と戦うチーム”というブランディングをしていきたい、と平井は言う。
世界記録を樹立した山口は、平井を慕って進学を決めた。
平井に芽生えた思いを最初に受け取ったのが山口だった。高校2年の秋のインターナショナル選手標準記録突破を機に、'11年11月から昨年4月の日本選手権まで平井の下で練習をした。
「すごい高みを目指している人たちと一緒に練習することで自分の意識改革ができて、もっと強くなりたいと思うようになりましたね。平井先生には1から10まで教えてもらえて、ドンドン自分のプラスにできたのも新鮮でした。日本選手権で五輪出場がダメになったあと、『強くなるためにはどこへ行けばいいか』と考えた時に、平井先生が来年から監督になる東洋大でやるのが一番だと思ったんです」
五輪代表への思いは叶わなかったが、その後も平井から口を酸っぱくして言われていた“大きな泳ぎ”が徐々にできるようになり、好調が続いた。「ロンドン五輪の北島さんの泳ぎを見て感動して、そこからものすごく練習を頑張った」という山口は、8月17日のインターハイの200mで2分07秒84をマーク。その後も優勝したジュニアパンパシフィック選手権の直後の夏季JO杯で自己記録を更新すると、9月15日の国体では2分07秒01の世界記録を樹立した。大きな勲章を持って平井の下に行くことになったのだ。
だがその栄冠が重荷になった時期もある。