ボールピープルBACK NUMBER
夜中の救急病院、ブラジルのトラウマ、
そしてフットボールしかない小さな国。
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph byAtsushi Kondo
posted2013/06/29 08:01
フッキことジオバンニ・ヴィエイラ・デ・ソーザ選手は、子供時代に読みふけったアメリカン・コミックの「超人ハルク」から母親につけられたあだ名を選手名として登録している。
ブラジル史上最も悲しい出来事、「マラカナッソ」。
普通ここまでサッカー好きが集まって、ここまでアルコールが入ると、たまに嫌な感じの奴がからんできたりするが、ミネイロンの周りでは見事なまでに誰も彼もが陽気で、さわやかである。
1人だけ、こちらにむかって「ニッポン負けた、ニッポン負けた!」とふざけたコールをしてくる若者(もちろん冗談半分である)がいたが、イタリア戦で善戦したことばかり持ち出されるのに辟易としていたので、なかなか鼓膜に心地良かった。実際、日本は負けたんだから。それもかなりこっぴどく。
「マラカナッソ!」
僕はふざけて言い返す。
今から63年前。1950年、ブラジルで行われたW杯決勝、17万とも19万(嘘みたいな数字だが、本当だ)とも言われる大観衆を集めたマラカナンスタジアムで、ブラジル代表はウルグアイ代表に1-2の逆転負けを喫した。
「マラカナッソ(日本語では『マラカナンの悲劇』として訳される)」とは、ブラジルサッカー史上最も悲しい出来事。「マラカナッソ」はその後長く語り継がれることとなり、大事な試合でブラジルがウルグアイと対戦するたび、この単語は古い記憶の引き出しから取り出され、警句として発せられてきた。
とはいえ、2013年6月のミネイロンで、ブラジルがウルグアイに負けるかもしれないなんて、誰もこれっぽっちも思っていなかったし、僕自身も思っていなかった。
静岡県ほどの国が、世界のサッカー界でトップランクにいる不思議。
マラカナッソのもう一方の主役について少し語ろう。
ウルグアイ、正式にはウルグアイ東方共和国。この国はラプラタ川のほとり、国土の西側をアルゼンチン、北側をブラジル、東と南は大西洋に挟まれた、人口わずか330万人の小さな国だ。広大な土地を持つので面積こそ日本の半分くらいなのだが、人口規模でいうと静岡県よりちょっと少ないくらいしかいない。首都はモンテビデオという街だ。
たぶん普通の日本人は、あるいは普通のノルウェー人だって、ウルグアイのことなんてたぶん何も知らない。しかし、多少なりともサッカーに縁のある人は、日本人でもミャンマー人でも人生のかなり早い段階でウルグアイという単語を耳にすることとなる(ちなみに僕は中学2年生のときにこの国を地図で探した)。
ウルグアイ。第1回ワールドカップはこの国で開催された。
ウルグアイ。まだ今ほど世界規模でサッカーが盛んではなかった時代だけれど、過去2度のW杯優勝を飾っている。
ウルグアイ。国内の二大クラブ、ナシオナルとペニャロールは1980年代の南米を代表するクラブで、トヨタカップのために日本を訪れ世界一の座を獲得したこともある。
ウルグアイ。ブラジル、アルゼンチンに続くサッカー選手の輸出大国である。
ウルグアイ。2006年のW杯は大陸間プレーオフでオーストラリアに敗れ、屈辱的な予選落ちを味わったが、2010年のW杯では見事復活しベスト4に進出した。
ウルグアイ。この国の人は自分たちのサッカーの特徴を“GARRA(ガーラ)”という単語で表現することを好む。もとは、猛禽類の鋭い爪を意味するこの単語は、サッカーにおいて語られるとき、日本語に訳すところの「根性」、あるいは「執着心」と訳されることが多いが、僕はもう少し適当に解釈して「ど根性」と訳すことにしている。