南ア・ワールドカップ通信BACK NUMBER
南アの夜は死ぬほど怖かった!?
あるジャーナリストのW杯珍道中。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byLatin Content/Getty Images
posted2010/08/03 06:00
何事もなく朝を迎えられて、こんな幸福は無い!
目が覚めると、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいた。薄い布団がうっとうしく感じられる。暑い。いい天気のようだ。
左腕の時計を見ると、8時43分だった。起床時間をこんなにはっきり覚えているのは、この日の朝が本当に待ち遠しかったからに他ならない。
深夜3時前に帰宅した彼女たちは、1時間以上もリビングで雑談していた。誰かが席を立つ気配を感じるたびに僕はビクッとし、部屋の前を通り過ぎるとホッとする。精神的な拷問はしばらく続いたが、いつのまにか僕は眠りに落ちていたようだ。
シャワーを浴び、荷物を整理して、運転手の彼女の携帯を鳴らす。「タクシーが必要なら私が呼んであげるから」と、運転手の彼女は昨晩言っていた。ナショナルフラッグキャリアに勤務している彼女たちは、すでに出勤していた。
「15分くらいでくるそうです」
サンペーの言葉に黙って頷く。リビングから庭へ出て、二人でゆっくりとたばこを吸った。
タクシーが来るまでに4本吸った。
数日前に飲んだ下剤が今朝から効き始めたサンペーは、タクシーを待つ1時間の間に3回もトイレへ行った。
疲労はまだ身体のあちこちに居座っていた。それでも、無事に朝を迎えられたことで気持ちは最高に晴れやかだった。
昨晩のある会話を思い出す。僕らの気持ちを和ませようとした家主の彼女の心遣いが、10数時間を経て圧倒的な幸福感と共に全身へ染みわたっていた。
「私のおじいさん、あなたたちと同じ日本人なのよ。名前はキセキって言うのよ」
キセキって日本語でどんな意味なのか、知ってる? 僕とサンペーが聞くと、家主の彼女はすぐに答えた。
「ミラクルでしょう! 素敵よね」
僕らがこの夜を越えられたのは、まさに“キセキ”だ。
「奇跡」はいつも大きな代償を伴って訪れるものなのだ。
7月2日16時キックオフのオランダ対ブラジルを予定どおり観戦した僕とサンペーは、知り合いのカメラマンさんの車へ同乗させてもらい、日本代表のキャンプ地であるジョージで1泊してから、ケープタウンへ向かうことになった。
ジョージのホテルへ到着したのは、日付が3日になろうとしていた深夜12時前だった。すぐにパソコンを立ち上げ、オランダ対ブラジルのマッチレポートに取りかかる。短い原稿もいくつか書き、ひとまずノルマを終えたのは朝6時だった。シャワーを浴びて、再び車へ乗り込む。
ケープタウンへ到着する直前に、携帯電話が震動した。Number編集部から原稿を確認したとの電話だった。
ケープタウンのスタジアムへ到着した僕は、すぐにまたパソコンを立ち上げる。原稿を書き、そして修正したりする。また、送信する。
アルゼンチン対ドイツ(7月3日夕方4時)のキックオフは、1時間後に迫ってきた。記者たちもスタンドに移動し、メディアセンターは空席が目立つようになってきた。
そして僕にはNumber編集部から再び電話がくる。僕はパソコンの画面を見つめ、完成間近の原稿をスクロールしながらチェックしていく。原稿が終わらない。キックオフに間に合わない。
――ドイツがアルゼンチンを蹂躙する。まさかの展開だ。マラドーナの表情が歪む。ああ、ディエゴッ!
対戦が決まってから楽しみにしていたアルゼンチン対ドイツ戦を、僕はメディアセンターのテレビで観た。原稿はギリギリで終わったけれど、本当に精魂尽き果ててしまった。スタンドまで歩いていく余力はなく、どうしても生で観ることができなかった。こんなことは初めてだった。
ミラクルの代償は、大きかったということか。