南ア・ワールドカップ通信BACK NUMBER
南アの夜は死ぬほど怖かった!?
あるジャーナリストのW杯珍道中。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byLatin Content/Getty Images
posted2010/08/03 06:00
一人300ランドのはずが600ランド? 話が違う!
しばらくするとサンペーが部屋に戻ってきた。困惑気味に切り出す。
「宿代、一人300ランドで合計600って話だったじゃないですか。それが、一人600払えっていうんですよ」
「オレら、一部屋しか使わないんだぜ」
「でも、一人600ランドだって言うんすよ。どうしますか……」
財布には900ランドと小銭が少しある。サンペーも同じくらい持っているはずだ。払えない金額じゃない。
ただ、明日の交通費を残しておかないと。僕らがいるのは住宅街のど真ん中だ。ATMなんてものはない。
空港からはこの“ゲストハウス”までは15分ほどだったはずだが、タクシーを呼んだらどれぐらいかかるだろうか。南アフリカは街ごとにタクシー料金の設定がバラバラで、メーターが付いているタクシーと、そうでないタクシーが混在している。ある程度の金額を手元に残しておきたかった。
「じゃあ、ひとり500の1000でどうかな」
ひとりよりも二人でお願いしたほうが、この場合は切迫感が伝わる。サンペーに任せず、僕も部屋を出た。家主の彼女は「分かったわ」といった感じで肩をすくめ、1000ランドを受け取った。
「ディスコへ行くと殺される」被害妄想に取り憑かれる。
これで本当にすべての問題を解決した僕らは、スーツケースを拡げた。ひとつしかないコンセントを使ってパソコンを充電しようとしたところで、ドアがノックされた。
「これから遊びに行くんだけど、あなたたちもどう? 海外沿いのとてもクールなディスコよ」
ドレスアップした運転手の彼女が、僕らに笑顔を振りまく。僕に確認するまでもなく、サンペーが即答していた。
「僕たちはすごく疲れているから、今日は遠慮しておくよ」
「そう。じゃあ、ごゆっくり」
運転手の彼女は、言葉ほど残念そうな素振りも見せずに、あっさりと引き下がった。
たとえ元気だったとしても、荷物を置いていけるはずがない。部屋に鍵をかけたところで、おそらく彼女は合い鍵を持っている。貴重品をスーツケースに仕舞っても、カギを壊されたらジ・エンドである。
しかし、スーツケースを壊されるぐらいなら、まだいい。
ディスコに行くのを断ったばかりに、彼女が機嫌を損ねてヤバイ筋の男友だちを連れてくる。フィジカルの怪物みたいな男に襲われ、貴重品をすべて奪われたうえに道路に放り出されるかもしれない。
警察官に助けを求めるのも、たぶん難しいだろうなぁ。幸運にも警察官を見つけられたとしても、本物かどうかは分からない。ニセ警官が跋扈しているという噂は絶えず、お金を出せば命は奪われないということだった。逆説すれば、お金を出さないと命が危ないということになり、“ゲストハウス”から放り出された僕らは、ニセ警官を満足させられないということになる。
いくつもの想像が頭を巡り、どれも最悪の結末に行き着く。たった100ランドを値切ったことが、猛烈に悔やまれた。報復の理由を与えてしまったのではないか、と思った。
ベッドで横になっても戸外の物音にビビりまくる。
全身に倦怠感がまとわりついている。すぐにでも眠れるはずなのに、恐怖で意識が冴えている。僕はまんじりともせずに、闇のなかに身を埋めていた。どうしたって、眠れない。
カーテンの外側で、何かがゆるりと動き出すのを感じた。タイメックスのバックライトを照らす。3時前だった。
彼女たちの声に、太い声が混ざっている。男だ。深夜には似つかわしくない嬌声が響く。車のドアが閉まり、ガチャガチャという鍵の音が聞こえる。数時間前の想像が形を持ち始める。合い鍵を使って押し入られ、襲われてしまうのではないだろうか。ドアには鍵をかけてある。スーツケースを立てかけ、鍵を開けられてもすぐに入り込めないようにしている。
それでも、僕らの安全に保証書はついていない。睡眠不足と恐怖が、僕の神経を異常に尖らせていた。