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スピードガンとの勝負はしない!
巨人ルーキー菅野は上原の後を継ぐ。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKyodo News
posted2013/02/02 08:02
宮崎キャンプ初日からブルペンに入った菅野。上原の背番号19を継いだドラフト1位ルーキーは、選手層の厚い巨人でどんな活躍を見せるのか。
「速く感じる球」はスピードガンでは測れない。
スピードガンの数字を気にして、とにかく1キロでも速いボールを投げようと必死にトライしてしまう。
「真っすぐにこだわりたい」
年齢的には菅野の一つ上の世代の日本ハム・斎藤佑樹投手や巨人の澤村投手も、こう語ってスピードガンと格闘した。
だが、結果的には斎藤はフォームを崩して、バランスを崩した投げ方となったことで肩の故障も引き起こした。そして澤村も制球が安定しないままに、いいときと悪いときの落差が非常に激しいピッチングとなっているのが現状だ。
その中で菅野はプロ入り1年目から、スピードガンとの勝負は、ある意味で放棄して、ひたすら打者が「速く感じる」腕が振れたボールを追い求めてブルペンに入っているわけである。
このブルペンでのピッチングを見て思い出すのは、巨人で同じ背番号19をつけていた上原浩治投手の姿だった。
「ストレートは速さではなくてボールの回転とキレ」
上原もそう語る。
上原が歩んだエースの道を、菅野に歩ませようとしている原監督。
プロ入り同期の西武・松坂大輔投手がやはりスピードガンと格闘するタイプの投手で、150キロを越すストレートでバンバン三振をとった。それを横目に、上原は絶妙の制球力で140キロ台前半のストレートをコーナーに散らし、フォークを両サイドに落として打者を打ち取っていった。
決してスピードガンとの勝負はしない。
スピードではなく、ボールのキレと制球で打者に勝つことを目指したピッチングだ。そこに徹したことで1年目から20勝をマークして、巨人のエースへと成長していったわけである。
その上原と菅野を二重写しで見ているのは、菅野の伯父でもある巨人の原辰徳監督だった。
「迷わずこの番号に決めました」
ドラフトで巨人の指名が確定した夜、原辰徳監督は、神奈川・平塚の東海大学湘南キャンパスまで駆けつけ、背番号19のユニフォームを甥っ子に渡した。そしてこう言って期待の視線を注いだのには、上原が歩んだエースへの道をダブらせていたからだった。