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まだまだ続く豊作の“斎藤世代”。
巨人の秘密兵器、小山雄輝の反骨心。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byKyodo News
posted2012/09/12 12:30
「(澤村に)追いつきライバルになれたらとは思う。2人でチームの勝ち星を増やしたい」とシーズン前に語っていた小山。2勝目を挙げた小山に原監督は「今休んでいる澤村と互角に競い合える」とコメントしている。
「『斎藤世代』の騒がれ方は、地方で見ていて悔しかった」
とはいえ、背番号「94」が示すように、巨人側としては大きな期待と言うより可能性を見込んでのものだったに違いない。
だが巨人入団が決まった時、すでに自らの厳しい立ち位置を理解している小山の姿があった。その時から、反骨心が、彼の支えとなった。
「僕らの代は『斎藤世代』と言われて騒がれていましたけど、地方で見ていて悔しかった。僕らが関東の選手たちに負けているとも、彼らにかなわないとも思っていなかった。僕らの世代の大学日本代表には地方の選手が選ばれませんでしたけど、かなわないわけがないと信じてやってきた。だから、地方でずっと頑張ってきたということをこれからも忘れずにいたいんです。澤村とは現時点で差があるかもしれないですけど、入ってからは実力の世界なんで、自信をもってやっていきたい。ダルビッシュさんみたいに、負けていても完投するような、マウンドを降りない投手になりたい」
小山には、地方大学の出身という意地があった。
斎藤、澤村らの世代は、関東を中心とした大学球界のスター選手ばかりに注目が集まる一方で、遠く離れた地方大学で実力がありながら苦汁をなめていた選手も多かったのだ。小山もそのうちのひとりだった。
大学野球代表にほとんど選ばれなかった、地方大学の選手たち。
たとえば、京都・佛教大の大野雄大(中日)、青森・八戸大の塩見貴洋(楽天)や秋山翔吾(西武)などもそうだ。彼らの知名度は、その実力ほどに高くはなかった。
事実、小山が話しているように、大学4年時にあたる2010年の大学日本代表に、地方組は野手一人しか選ばれていない。
150キロを投げ込んでいた左腕の大野や塩見。小山にいたっては、代表合宿にすら呼ばれていない。小山は当時で149キロを投げていたのに、である。
これには、地方大学への風当たりの強さも手伝っていた。
当時の関西球界において、実力もあり人気も高かった大野は、こんな風に語っていた。
「地方大学出身の選手は代表には選ばれないって、そんな噂も聞いていました。でも、神宮の舞台で僕のストレートを見たら落とすわけないやろと思っていた」
そんな大野がまさかの落選。地方、関西リーグ所属の選手たちにとって、このことは少なからず衝撃となっていた。
「代表合宿って形だけで、メンバーは最初から決まっていた」
「合宿で好投していた選手もいたのに、選ばれないのはおかしい」
「大野が落選なんて……あいつが選ばれていたら、まだ気も楽だったけど」
地方の大学生は、当時、相当に傷ついていたのだ。
だが、実力ある彼らのそういう中央球界への反骨心が、いつか大舞台で結実するであろうことは、容易に想像できるものでもあった。