ロンドン五輪EXPRESSBACK NUMBER
北京で泣き顔、ロンドンで笑顔――。
潮田玲子が負けてなお爽やかな理由。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byShinji Oyama/JMPA
posted2012/08/02 12:30
マイナー競技だったバドミントンのイメージを変えた功労者として、この8年間の長きにわたり過酷な日々を送ってきた潮田。美人アスリートとしても注目されていたが、その凄まじい練習量とプレーに対する厳しさは、誰にも負けないものであった。
4年前の表情とは、対照的だった。
バドミントンのミックスダブルスに池田信太郎と出場している潮田玲子は、7月31日、1次リーグのB組最終戦、フィッシャー、ペデルセン組(デンマーク)との試合を迎えた。
この日まで1勝1敗。最終戦に勝てば、各組の2位までが上がることができる準々決勝へと進める。負ければ敗退が決まり、大会は終わる。
重要な一戦だった。しかし11-21、10-21の0-2で完敗。1勝2敗のB組3位で終えることになった。
試合が終わると、潮田は池田と笑顔で握手を交わした。その後もずっと晴れやかな表情だった。北京五輪のときはそうではなかった。準々決勝で敗れたあと、潮田は目を真っ赤にし、うなだれていた。
潮田自身、このように口にする。
「4年前の北京五輪より、気持ちはすっきりしています」
たぶんこの言葉の裏には、オリンピックまでの辛く長い日々があるのだ。
北京五輪で引退をも考えていた潮田はなぜ復帰したのか?
潮田は2008年の北京五輪後、ペアを組んでいた小椋久美子とのコンビを解消した。ロンドンを目指したいという小椋に対し、競技生活を続けるべきかどうか、潮田は決めかねていたからだ。
その翌年、潮田は池田とペアを組み、ミックスダブルスでロンドン五輪を目指すことを発表した。進退で迷っていた潮田が前を向くことができたのは、「挑戦」という新たなモチベーションができたからだ。
潮田がミックスダブルスを始めたのは、もともとは協会関係者からの打診があったからだった。
ミックスダブルス専門でプレーするペアが珍しくない海外と違い、日本では男子ダブルス、女子ダブルスの選手が掛け持ちでプレーするのがそれまでの流れだった。実際、当時の日本には専門のペアはほとんどいなかったという。
協会が率先して強化・普及を図らないと、このままではまったく世界に通用しない――。そんな時、現役引退で悩んでいた潮田に白羽の矢が立ったのだ。