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<日本一のアルパインクライマーが語る(1)> 山野井泰史 「山との出会い、少年時代の記憶」
text by
柳橋閑Kan Yanagibashi
photograph byMiki Fukano
posted2012/08/02 06:00
危険を認識する能力を身につけているということ。
――それは持って生まれた才能なんですかね。
そういう部分もあるでしょうね。僕にはどう動いたらいいかっていう判断が瞬時にできるんです。またそれに見合った筋力、バランス感覚も持っている。
残念なことに友人は年に2~3人亡くなってきたけれど、僕はこれだけ長くクライミングを続けてきて、まだ生きている。それはテクニックじゃなくて、どこかで危険を認識する能力を身につけているということだと思うんです。それは才能だという気がする。どんなに注意してもルーズになっちゃう人がいるけど、僕は危険なところに目が行き届く。たぶんただの勘ではなくて、いろんなポイントを無意識にチェックしているんでしょうけど、自分としては「瞬時に分かる」という感覚なんです。
たとえば、街で車を運転していて、「この死角からは子供が飛び出すかもしれない」と頭では分かっていても、どうしても注意し忘れちゃう人っていますよね。でも、僕は街でも、山の中でも、いまはどういう状況なのか、どこから危険がやってくるのかを判断できる。それは経験ではカバーできない領域かもしれないですね。
「恐怖や孤独といった感情は排除しなくてもいい」
――そうしたリスクの察知能力があると、恐怖心へも対処できるようになるんでしょうか。
ヨセミテから、ヨーロッパアルプス、パタゴニア、そしてヒマラヤの高峰へと僕は順調に進んでいった。「これ以上行ったら死んじゃう」という思いが出てくると、やっぱり人間怖いですから行けないものです。
1965年4月21日、東京都生まれ。酸素ボンベや固定ロープを用いないアルパインスタイルで数々の実績を上げる。'02年、ヒマラヤ・ギャチュン・カン北壁の単独登頂に成功。'03年、植村直己冒険賞受賞。
僕も昔は、恐怖=いやなものと思っていた。でも、経験を重ねる中で、恐怖や孤独といった感情は排除しなくてもいいんだと思えるようになったんですね。そうした一見ネガティブな感情も含むのが登山なんだ、恐怖があるからこそ山は偉大なんだと。
実際、最初は恐怖を感じても、200m、300mと上がっていくと、恐怖は自分の中に組み込まれていきます。嫌なものではなくなって、前面には出てこなくなる。途中、ビバークして、ふと我に返ったとしても、その段階ではきれいに内側に入っちゃってるから、そんなに怖くはない。いわば恐怖とフィットしている状態です。
ただ、恐怖をなくしちゃいけない。僕はひとつひとつ段階を踏むことで、能力を上げ、次のレベルに踏み出せるだけの確信を身につけていった。ほかのスポーツと違って、能力がついていない状態で「とりあえずエントリーしてみよう」というのはありえないですからね。それは本当に自殺行為です。
失敗=死という意味で、これはスポーツといえるのかどうか……と思うこともあります。片山右京さんが「F1よりも何百倍も危険だよね」と言ってましたけど、クライマーは死ぬ確率が高すぎるのは事実です。日本の歴代の登山家を見ると、みんな山で亡くなってしまっている。
――山で死ぬ可能性が高いということに対しては、自分の中で覚悟を固めるんですか。
自分は死なないと思ってるんじゃないですかね。僕も死なないとはいわないけど、大丈夫だと思うからやっている。それが過信かどうかは、最後まで分からないでしょうね。
やり方を選んできた理由、「ゾーン体験」、チョ・オユー南西壁における幻覚との対話などについて――。8月9日頃に公開予定です。