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<ナンバーW杯傑作選/'05年1月掲載> アジア杯・ヨルダン戦 「奇跡には理由がある」 ~鬼神・川口のスーパーセーブ~
text by
阿部珠樹Tamaki Abe
photograph byMichi Ishijima/Tsutomu Kishimoto
posted2010/05/24 10:30
ダメもとでおねだりして、うまくいったら儲けもの。
エンドの変更が決まると、それに乗じたように三都主も「おねだり」に出た。日本は2人が蹴り終え、ヨルダンは1人が蹴っただけという時点での変更だったので、「オレにもう一回蹴らせてくれって、ボールをセットし直してみたんです。最初から蹴り直しはないなって思っていたけど、蹴れたらラッキーだし、やっても大丈夫だろうって。ちょっと、マリーシアだったかな?」(三都主)
ダメもとでおねだりして、うまくいったら儲けもの。あつかましいふるまいである。まさにマリーシア(ずるがしこい)。しかし、抜け目ないふるまいではあるが、汚いやり方ではない。ルールの範囲内で最大限に陣地を広げる。普段の試合でも、フリーキックやスローインのポイントを、すきあらば1cmでも前に進めようとするプレーヤーの動きはおなじみのものだ。
ほかのスポーツでは考えられないやり方である。ルールの周囲、審判の裁定の周囲にあるグラデーションの領域で、いかに賢くふるまえるか。それがサッカーの勝敗に大きく関わる。
宮本にしても三都主にしても、劣勢を挽回するために、グラデーションの部分で最大限にあつかましくふるまった。対するヨルダンは、あまりにナイーブだった。ほとんど前例のないエンドの変更に抗議はしたが、結局は受け入れてしまった。宮本の「フェアプレー」に匹敵する、大人の論理を持たなかった。
決着がつく前に、感情を爆発させてしまったことと合わせて、ヨルダンは自らのナイーブさで敗れたともいえる。フェアは賞賛されても、ナイーブさはサッカーで賞賛の対象にはなりづらい。
劣勢は意識しても、負けるとまでは考えていなかった。
流れを変えるはずのエンド変更も効果なく、ヨルダンは3人目も決め、1-3で残りは2人ずつ。見ていた側は、ほとんど日本の負けを考えたはずだ。あそこからの逆転を信じた人は、よほどの楽天家だけだろう。
ところが、選手たちは意外なほど負けを意識していなかった。福西が「ユウジ(中澤)が外したとき、もう流れはこっちに向かないのかも」と思い、宮本が「今度こそあかんかな」と思ったくらいで、あとはみな、劣勢は意識しても、負けるとまでは考えていなかった。中村は、相手が1人、外した時点でもう逆転勝利を意識したというし、中澤のように、最初から優勝しかないと思っていた、という選手もいる。
「全体を通じて、負ける気は全くしませんでしたね。リードされても、能活さんならなんとかしてくれるっていうのもありましたし」(中田)
「2人が外したときも、負けるかもしれないという感じにならなかった。立ち足の芝がはがれたりしたんで、ついてないなというのはありましたけど」(鈴木)
鈴木はどちらかというと、勝ちを意識したのが遅かったが、それでも、ヨルダンの5人目が外したときには勝利を意識したという。宮本も勝ちを意識したのは遅かったが、自分の蹴る順番が来たときには(7番目、宮本が決めて、ヨルダンの7番目が外し、決着がついた)「いける」と思っていた。