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<新体操女子、汗と涙の青春> フェアリージャパンPOLA 「7人の妖精たち、ひとつ屋根の下」
text by
佐藤岳Gaku Sato
photograph byKiyoaki Sasahara
posted2012/07/18 06:01
ヘッドコーチの容赦ない“スパルタ教育”と言葉の壁。
新ヘッドコーチの指導も容赦なかった。
初日、ビストロヴァは選手の名も聞かず、おもむろに曲を流した。「踊ってみて」。その瞬間、選手はただならぬ空気を感じ取った。
数日後、早々と2種目の作品を完成させたヘッドコーチは、その5日後に行われる施設のクリスマス会で試技するよう命じてきた。日本では通常、新作を人前で演じるまでに約2カ月を要する。物事が信じられない速度で進み始め、選手は付いていくのに必死だった。
指導のアプローチも日本とは正反対。たとえば、日本では技術や演技の完成度が優先され、顔の表情などは最後に仕上げるが、芸術性を重んじるビストロヴァは真っ先に表現力を要求した。無表情で練習する選手を見て怒り出し、「そんなんだったらやる必要はない!」と吐き捨てて帰ったこともある。
日々、打ちのめされる少女たちに、追い打ちをかけたのは言葉の壁だ。コーチの横地愛が通訳に入るものの、まくし立てるようなロシア語の響きに、選手は困惑した。
「どう動いても叫ばれるから、どうしようと思って動くのが怖くなっちゃって……」
遠藤がそう振り返るように、だれもがビストロヴァの真意を測りかね、畏縮した。
オンもオフも神経が張り詰め、捌け口も見つからない。初選出の選手たちはそれまで日に2、3時間の練習だったのが、一気に8時間にまで増え、体力的にも追い込まれた。
慣れない環境で四苦八苦する教え子たちを、山崎も懸命にフォローした。表情が暗ければ、個人的に呼んで話もした。だが、すぐに環境に順応できるわけでもなく、最年長の田中ですら、逃げ出したい衝動に駆られたという。
「信頼関係がなきゃ駄目だ」――惨敗した世界選手権が転機に。
転機は8カ月後に訪れた。
新チームで臨む初の世界選手権直前、イタリアのW杯に出場した日本はフープでミスが出て、団体総合で10位と惨敗。練習のなかで少しずつ上達の匂いを感じ取っていたビストロヴァも、さすがに気落ちした様子を隠せなかった。そのとき、山崎は選手に声をかけた。
「インナさんが言ってることに、1mmも間違いはないんだから、とにかく信頼して付いていきなさい。1mmも疑っちゃいけない」
どんなに優秀な指導者に師事しても、学ぶ側が心を開かなければ、強くなるはずがない。山崎の一喝に選手も頷き、ビストロヴァに「もう1度、お願いします」と頭を下げた。
「口調が少し強いだけで、『できてるのよ! できてるのよ!』と言われてても、『できてない!』って聞こえちゃう。だから、信頼関係がなきゃ駄目だと思ったのが、そのイタリアの試合でした。そこから変わりましたね」と田中は振り返る。
迎えた'10年9月の世界選手権モスクワ大会では種目別のフープ、リボン&ロープともに決勝に進出し、結果、団体総合で6位入賞。その1年後、ロンドンへの切符がかかった世界選手権モンペリエ大会では順位をさらに一つ上げて、夢の舞台への挑戦権を得た。過酷な練習環境に耐えきった少女たちは、仲間やヘッドコーチとの絆を深めることで、チームの愛称である「妖精」のごとく、力強く羽ばたいていったのである。