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<新体操女子、汗と涙の青春> フェアリージャパンPOLA 「7人の妖精たち、ひとつ屋根の下」 

text by

佐藤岳

佐藤岳Gaku Sato

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photograph byKiyoaki Sasahara

posted2012/07/18 06:01

<新体操女子、汗と涙の青春> フェアリージャパンPOLA 「7人の妖精たち、ひとつ屋根の下」<Number Web> photograph by Kiyoaki Sasahara

プロポーションを重要視した、斬新なオーディション。

 '05年の末、停滞感のあった団体競技に深々とメスを入れた。それまでは特定の強豪チームをベースに代表チームを構成することが慣例化していたが、オーディションを開催し、全国から有望選手を募ったのである。

 新体操は技術や芸術性を競う採点競技。特に団体は、マット上にいる選手全員の体格の均整が取れていることが重要で、上背がある方が見栄えもいい。そのため、オーディションでは競技成績を度外視し、プロポーションや運動能力を重視した。身長や体重、股下と上半身の比率などを徹底的に検証したうえで選抜されたのが第1期のメンバーで、翌'06年には千葉市内のマンションを生活拠点として強化合宿をスタートさせている。

「最初は下手くそで、団体の経験がない選手もいました。だから、周辺視野がなくて、ぶつかったりしてて……。本当にこのチームでいいのかっていう批判は、よく耳にしていましたね。半年くらいしたときかな。会議で『既存のチームでやったほうがいいんじゃないか』と言われて、泣いたこともありましたね」

 山崎にはそんな苦い過去もあるが、新体制で発足したチームは紆余曲折の末に'08年の北京五輪で2大会ぶりの五輪出場を果たし、周囲の懐疑的な見方を払拭した。そして、翌'09年の末には大幅に選手を入れ替え、ロンドン五輪に向けて再出発している。

 だが、この新たな道程も想像以上に険しかった。

過酷なロシアと日本の往復。ストレスから些細なことで衝突も。

 新チームは北京組の田中、遠藤に、畠山愛理、サイード横田仁奈、松原梨恵、深瀬菜月、三浦莉奈といった新戦力を加えたメンバー。彼女たちはオーディションの直後にロシアに練習拠点を移すことを伝えられ、ほどなくして、日本を飛び立っている。

 パキスタン人の父と日本人の母を持つ横田は当時、まだ15歳。あまりに唐突なロシア行きの話に耳を疑ったという。

「『えー!』って。紙が配られて、『はい、パスポート出して』とか。いきなりでしたからね」

 山崎がロシアを選んだのは、世界的強豪から強さの秘訣を盗むためだった。ロシア新体操連盟を通じ紹介された女性コーチのインナ・ビストロヴァは、ユニバーシアードで同国代表を6連覇に導いた経験もある有能な人物だが、その教えを請うには、彼女の住むサンクトペテルブルクまで出向く必要があった。

 ロシア革命の舞台としても知られる同国第二の都市は歴史的な建造物や美術館が多く、訪れる旅行客も多い。だが、その街の美しさとはうらはらに、数週間から2カ月ほどの間隔でロシアと日本を往復する生活は、まだ10代の少女たちにとって過酷を極めた。

 新体操専用の施設では2、3人が同部屋で寝泊まりしたが、まだそこまで打ち解けていないうえ、若さゆえの純粋さが、歯に衣着せぬ物言いにつながり、些細なことで衝突した。笑みを浮かべる仲間を見て、「笑うとイライラするから!」と怒鳴りつける者もいた。

【次ページ】 ヘッドコーチの容赦ない“スパルタ教育”と言葉の壁。

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山崎浩子
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