自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
神田川に沿って“東京横断旅行”。
フォークソングの銭湯は、今も健在か?
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2010/05/14 06:00
隅田川到達。江戸幕府の壮大な河川工事に感慨。
秋葉原を抜けると、もう神田川は「都会の大河」の風情となってくる。今までと違うのは、見た目も深そうに見えるいうことだ。深そうなだけじゃなく、実際に深い。その証拠に、川に船が浮かび出す。
屋形船が多数浮かび、地上には人形屋さんが多数現れるようになったら、そこは浅草橋、いよいよ神田川の最終地点だ。
神田川はここで、隅田川に飲み込まれ、24.6kmの旅を終える。サイクルコンピュータを見ると、私の距離は、おや、38km。ま、色々と遠回りをしたからね。川と同じ距離というわけにはいかない。
こうしてみると、東京の東側というのは、川の街だ。
神田川から数えると、隅田川、荒川、中川、江戸川、はては利根川まで、いくつもの川と運河が、墨田区、江東区、葛飾区、江戸川区、そして、千葉県を区切っている。
実はこれらの川は、かつては皆なかった。というか、東京湾に注ぐ一つの荒川だった。
その荒川の河口を銚子まで流していき(これが利根川)、放水路をわざわざ江戸と下総の間に掘った(これが荒川)のは、江戸時代の初期から中期にかけてだ。
洪水の回避と、水上交通の整備のために、江戸幕府というのは、とんでもない公共工事をやった。そして、それが今も機能している。
その中の一番小さな支流こそが、今回の神田川。神田川を下るということは、江戸期の公共事業の結果を見ることでもある。
吾妻橋の巨大焼鳥屋。店も大きい、焼鳥も大きい。
さて、今日のミッションは終わった。私は隅田川を北上して、浅草、というか、吾妻橋に向かうことにする。そこにカミさんと1歳9カ月の息子が待っているからだ。
実は吾妻橋には、前々から行ってみたかった、伝説の「稲垣」という焼鳥屋さんがある。そこで待ち合わせなのだ。
「稲垣」は、吾妻橋という街の、むしろ路地裏といった方が近いような場所にあるのだけど、非常に大きな店で、何棟も軒を連ねていて、そのすべてが稲垣。
客の収容力がスゴい。で、その稲垣、どう伝説かというと……、わはは、まずは安い。そして、美味い。ボリュームが最大限にある。ハツ焼きなどあたかも南米のアンティクーチョのように食べ応えがあって、しかも美味い。
だが、親子三人で行くには、ちょっとタマランのだ。なぜならば、たとえば焼き鳥は最低4本から。一つ一つの皿のボリュームもすごすぎる。それが、一皿たったの400円から。座敷は非常に広く、三人しかいないとむしろ寂しい。大人数でどかっと行って、どかっと食べて、勘定をみんなで分けると、おやまあ、こんなにリーズナブル、というタイプの店だ。
次回は是非そんな利用の仕方をしよう。
ビールは大ジョッキ。しかし、多少酔っぱらい気味になろうが、自転車はとうにたたんでいる。帰りは都営浅草線で、自宅の最寄りの駅まで一直線だ。