野ボール横丁BACK NUMBER
「巨人の敵は巨人」ということか?
不振の理由は“内なる戦い”にあり。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2012/04/24 12:30
なかなか勝利の波に乗れない原辰徳監督。「歯車がかみ合わないですね……。チームを救うような男が出てこないと」と苦しい胸の内を漏らすことも。
内なる戦い――。
巨人の監督を務めていた頃の長嶋茂雄は、一時期、そんな言葉を好んで使っていた。つまり、チーム内競争のことだ。だが、その言葉にずっと違和感を抱いていた。
ちょうど同じ頃、それとはまったく逆の方法論で圧倒的な強さを誇ったチームがあったからだ。
1997年、'98年の横浜ベイスターズである。
'97年はリーグ2位。'98年は38年ぶりにリーグ優勝を飾り、その後、日本シリーズも制した。抑えに佐々木主浩がいて、石井琢朗や鈴木尚典、ローズなどが打線を引っ張っていた。当時の横浜はとにかく選手層が薄かった。だから、レギュラーを脅かす存在などまったくいなかったと言っていい。
だが、それがちょうど脂が乗り切った選手がいた時期とうまく重なったということもあるのだろう、逆にいい発憤材料になっていたのだ。
俺しかいない――。
彼らのプレーからは、そうした思いをひしひしと感じたものだ。
大物選手が揃っているにもかかわらず、うまく機能しない巨人。
ベテラン勢も若手も、代わりはいないということで意気に感じていたし、任せられているという安心感から伸び伸びプレーをしていた。巨人から横浜に移籍し、輝きを取り戻した駒田徳広などがいい例だった。
また、そういうときほど故障者も出ないものなのだ。
もちろん、意図してそういう状況をつくったというよりは、チーム事情から、いやおうなくそうなってしまったと言った方が正しい。だが、清原和博、広沢克実、石井浩郎と、他チームの四番を次々と獲得しながら、それがいっこうに機能しない巨人を眺めつつ、こういうやり方もあるのだと新鮮な思いがしたものだ。
今年の巨人も「内なる戦い」を標榜していた頃の巨人と似ていると言えば似ている。そして、それが奏功していないところもやはり同じだ。