自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
自転車からスカイツリーを仰げば、
銀座、浅草、そして業平橋。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2010/04/16 06:00
「蔵前国技館」の思い出を探して。
大相撲の本拠地・両国国技館(初代)は、戦後、GHQにより接収されてしまった。
相撲協会は戦後復興の中、しばらくの間、神宮外苑などで野外興行を行っていたというのだが、これじゃイカンと、やっとの思いで建設したのが、蔵前国技館だった。
で、昭和25年の仮オープンから、両国国技館(二代目)完成の昭和59年まで、およそ34年の間、この地に国技館はあったのだ。
だから、私などの世代にとって、少年時代の大相撲といえば蔵前である。この蔵前国技館で、横綱北の湖(北の湖前理事長)、大関魁傑(放駒親方)、大関旭国(大島親方)などが土俵をつとめていた。この「くらまえこくぎかん」という響きがすでに懐かしいよ。
外観で言うと、現在の国技館と違って何だか「停車場風」というか「歌舞伎座風」というか(←何だかよく分かりませんね)、とにかく和風、これまた何とも味わい深い物だったと記憶している。
江戸通り(国道6号線)からちょっと外れて、ペダルを4、50回程度踏むと、その国技館跡地に出る。そこは東京都下水道局の「北部第一管理・蔵前ポンプ所」という施設に姿を変えていた。
何らかの痕跡でもと思ってみたが、本気で何もない。何だかちょっともったいない。(*後で聞いたら、蔵前の大相撲ゆかりのブツは、近くの蔵前神社にひっそりと石碑としてあるのだそうだ)
「Always 三丁目の夕日」に見る巨大塔の法則。
さて、何だかんだで蔵前を過ぎると、目の前はもう浅草だ。下町の首都・浅草。東京最大の観光地・浅草。さらにいうなら東京で最も昭和っぽい街・浅草。である。
しかし、何かヘンだな。
本日の自転車散歩は、昭和ではなく平成のテレビ塔、とんでもなく大きくて高い、ハイテクの塊、東京スカイツリーを見に行くのではなかったか。
三田・銀座・日本橋・馬喰町・蔵前・浅草と、風景はどんどん昭和臭く、もっと大げさに言うなら「戦後」っぽくなっていくぞ。
やはり映画「Always 三丁目の夕日」に見る通り、巨大塔というものは、こうした雰囲気の中にしか建たないのであろうか。