自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
自転車からスカイツリーを仰げば、
銀座、浅草、そして業平橋。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2010/04/16 06:00
おお「快晴」と「晴れ」の中間。一部雲あり。スカイツリー日和である。
なぜ殊更に「スカイツリー日和」であるかというと、あまりに快晴で、あまりに燦々と陽がさしていると、まぶしくて見上げられないと思われるからだ。
ということで、今回はにょきにょきとできあがりつつあるスカイツリー(正式名称:東京スカイツリー)を、足下まで見に行こうというのだね。
本日の自転車は、ドイツの傑作折りたたみ自転車「BD-1」。もちろん往き道も楽しもうということで、港区・札の辻、慶應義塾大学三田キャンパスのすぐ近くから走り始めた。
けっこう早朝に走り始めたから、休日だからということもあってか、国道15号線、第一京浜は比較的空いている。この道、銀座まで一直線。スカイツリーはまだここからでは見えない。
ま、そりゃ当然だ。どんなにスカイツリーが背が高いつってもね。ここはまだ港区。むしろ、ここから見えるのは、おお、昭和の象徴的電波塔、前回しつこく書いた東京タワーである。
うーむ、東京タワーくん、悲しいことに、君はもう先月(3月)スカイツリーくんに抜かれてしまったのだよ。誰もが知る333メートルは、もはや「日本一高い人工建造物」の称号を失ってしまった。君はもう2番手。今後はあの蝋人形館とダサいお土産屋さんなどとともに、どういう人生ならぬ塔生を歩んでいくのだろう。いや、塔は歩まないな。
「元祖ダサ」から「レトロ本格派」への転身。
思えば今から25年前、東京の大学に進学した私は「最初にこの“大東京”を一望しておこう」とばかりに、ひとり東京タワーに上ったことがある。
その志と所業や、あたかも風大左衛門のごとく、または左門豊作のごとくである。
私(宮崎県南部出身であります)は「田舎者は田舎者なのだ。ましてや私はド田舎者。儀式として、通過儀礼として、最初にあえてそういうことをしなくてはならないのだっ」と堅く思いこんでいた。ヒキタ18歳の春、時は1985年であった。
'85年というあの時代は「東京タワーに上る」という行為自体が、いわば禁忌であった。田舎くさい(「ナウくない」も可)ということが罪のように扱われるヘンな時代。
あれから随分時が過ぎて、東京タワーというものが、むしろ「元祖ダサ」の裏の裏の裏にひっくり返って、むしろ「レトロであるゆえに本格派」の、味な行為となる時代となった。その証左というべきか、昨今、東京タワーの観光客数はうなぎ登りに増えているのだという。これまたヘンな時代だ。
まあいい。そういう東京タワーを麓から見上げながら、第一京浜をまっすぐ北上し、芝公園、御成門、新橋を突っ切って、銀座に出た。