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<私とカラダづくり> 内田樹 「カラダというアナログを大切に」 

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photograph byMami Yamada

posted2012/01/19 06:00

<私とカラダづくり> 内田樹 「カラダというアナログを大切に」<Number Web> photograph by Mami Yamada

多くの人々がのめりこむ競技スポーツの難点とは?

「あと何日」という限界が示されていると無理ができる。普通はカラダが「これ以上は無理です」というアラームを鳴らします。もう動くな、休め、という生物的なシグナルを送ってくる。「これ以上やると健康に悪い」というときには危険信号が鳴動して、リミッターが働き、カラダの動きを止めてしまいます。

 でも、身体的なリミッターは「あと何日だけ」という時間的なリミッターを使えばトレードオフできる。競技の効果はこれなんです。「この苦しさが終わる日」を予示しておくことで、身体的リミッターを解除してしまう。すると、しばしば「自分にまだこんな力が眠っていたとは思ってもいなかった力」が爆発的に発動する。それがアスリートにブレイクスルーをもたらし、そして「こんなパフォーマンスができるんだ」という自己発見をもたらす。その全能感、達成感が素晴らしいから、多くの人々が競技にのめりこむわけです。

 でも、「負荷をかけられるのはここまで」という時間的なゴールを設定することと引き替えに、身体的なリミッターを解除したわけですから、どこかで「終わり」が来る。これが競技の難点です。自分の潜在能力をじっくり観察し、吟味し、丁寧に、長い時間をかけて開発してゆくという方法が競技スポーツでは許されない。けれども、人間の蔵する様々な身体能力のうち、呼吸力とか、身体感受性とか、瞑想の深さとか、胆力といったものは、すぐれたメンターに就いて、長い時間をかけなければ開発することができません。

なぜ、大学進学後、競技への関心を失うアスリートが多いのか?

 競技スポーツで達成されるブレイクスルーは競技以外の生活を犠牲にして成り立つものです。だから、僕の合気道みたいに36年も続けるわけにはゆかない。こっちは学校にだって行かなければならないし、働いて生計も立てなければいけない、友だちとも遊びたいし、本も読みたいし、映画も観たいし、恋もしなければいけないし(笑)。そういうものを全部含めた“ふつうの生活”の中に武道の稽古をその当然の一部分として含んでいなければ、30年、50年という修業は続かない。

「ここまで」と時間を区切って、そのリミッターを効かせることでカラダに過剰な負荷をかけるトレーニング法を採用していると、ゴールを通過すると同時にいきなり虚脱するということが起こります。へたり込んだまま立てなくなる。

 中高の部活で集中的なトレーニングをして、それなりの戦績を残した若いアスリートが、大学に進学するとその競技に見向きもしなくなるという事例を多く見ます。彼らは、数カ月先に目標が設定されて、コーチや監督が「他のすべてを犠牲にして」競技に打ち込むことを要求するというシステムになじんでいるので、緊急な目標がない、うるさく強制する人がいないという状況におかれると何もする気がしなくなる。

【次ページ】 合気道は、子どもを生んだ女性でも続けることができる。

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