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<私とカラダづくり> 内田樹 「カラダというアナログを大切に」 

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photograph byMami Yamada

posted2012/01/19 06:00

<私とカラダづくり> 内田樹 「カラダというアナログを大切に」<Number Web> photograph by Mami Yamada

自宅兼道場「凱風館」に込めた理想。

 武道を長くやってきて一番感じたのは、人間のカラダって色んなことができるんだな、自分たちの知っているカラダの使い方ってそのなかの何万分の一なんだな、ということですね。

 11月には念願の自宅兼道場である「凱風館」を建てたのですが、作家の関川夏央さんに喝破されました。「これは漫画『もうれつ先生』のもうれつ道場だ」と(笑)。

 でも、まさにもうれつ道場は僕の理想像なんです。平屋で、道場と台所、そして道場の横にご飯を食べるもう一部屋がある。

 僕の凱風館でも、この机で原稿を書いていて、「おっ、そろそろ稽古の時間か」となれば、パッと着替えて階段を降りていけば道場がある。稽古が終われば「じゃあねー」と階段をあがってきてビールを飲んでます。

 でも、道場には他にも原体験があるんです。僕は小学校4年生のときにカラダを壊して半年間、養護施設に入っていたんですが、退院して学校に戻ると、それまでは人気者だったのにイジメの対象になってしまった。これがすっごく辛かったんです。

 そんなときに朝起きて、学校の前に剣道をやるために町道場へ行くというのがとても楽しかった。先生は近くの町工場の親父さんなんですけれど、ちょっと学校と違うんですよね。僕らがワーッと竹刀を振っている横で、いつもニコニコしている。その表情だけで自分が許容されているという気分になりました。学校の先生とは違って子どもの能力を査定したりせず、強い弱いということも言わない。とにかく「子ども達が剣道をやってくれるだけで俺らも嬉しい」という感じでした。

「凱風館を“アナログの拠点”にしたい」

 あの先生たちは、もしかすると戦中は職業軍人だったのかもしれません。わりと「人を殺したことがあるんじゃないか?」という顔をしてましたからね(笑)。そんな雰囲気のある大人の近くで、自分のウチや学校とは、別のかたちで社会とつながっていたということが、大きな救いになっていたんです。

 僕は、凱風館を“アナログの拠点”にしたいと考えています。

 今は社会がデジタルに偏り過ぎている。基本的に人類の歴史は、自然というアナログが、人間の文明というデジタルと交わりあっていくものですが、現代はハイパーデジタルな、偏った社会になってしまっています。

 僕が子どものころは、色々な夾雑物が日常の中に入ってきて、なんだかわけのわからないものが社会のなかにいっぱいありました。言い換えれば社会がいい意味で緩かった。

 その緩さが今はなくなり、全部きれいにルール化されてしまっている。コンプライアンスとか、マニュアルとかいう言葉でね。現実には何が起こるかわからないから、「ルールなんかつくったら面倒くさいんだよ」と説明するのですが、それがうまく理解してもらえないことが多々あります。

 そうやって人間の諸活動が全部固い言葉や数値で表示されるようになってしまうと、僕なんかは「そういうもんじゃないんだけどな」という違和感を感じる。「ざっとでいいじゃないの」って(笑)。

【次ページ】 人間の生物的な欲求をベースにしたアナログな社会へ。

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