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実は言葉の人、落合博満。
オレ流語録8年分、一挙公開! 

text by

村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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photograph byHideki Sugiyama

posted2011/12/03 08:02

実は言葉の人、落合博満。オレ流語録8年分、一挙公開!<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

退任の記者会見にて「中日以外のチームから監督のオファーがあればどうしますか」との質問に対し、「話があれば聞く」と答えた落合博満氏。「初老の男性に戻った。映画館の右の後ろで女房と映画を観たり、温泉にでも行きたいと思います」というコメントも残している

 非常に楽になりました。監督という肩書は結構重たい。それを外して、普通の57歳か58歳の初老の男性に戻ったということじゃないでしょうか――。

 11月22日。中日ドラゴンズ・落合博満監督の退任会見が名古屋市内で行われた。キャンディーズの解散会見、いや、10月31日にあった橋下大阪府知事の「普通の42歳に戻りたい」発言に続く、異能者たちだけに許された「普通の○○に戻る」発言は、落合博満がドラゴンズ監督としての重責を全うしたことを告げる最後の言葉となった。

 思えば監督就任となった'03年10月8日の会見での、「どういうタイプの監督になるかは誰にもあてはまらないでしょう。(中略)負けたら責任は自分が取る。こういう野球をやるんだという信念だけはぶれてはいけない」という言葉そのまんまの8年間。

 落合監督が発する言葉に基本的に愛想はない。どこまでも偏屈で、人を喰った様な物言い。さらに多くを語ることがないため、その言葉は取り方によっては冷たくも、優しくもあり、未来を予見しているようにも、単なる負け惜しみにも見えてしまう時もある。

落合監督の大御言はノストラダムスの四行詩の如し。

 だが、8年間で優勝4回、2位3回、3位1回という抜群の成績を残した現実に、落合監督には我々に見えないものが見えているのでは……いや、今シーズンのセ・リーグ優勝後、「逆転優勝はある種、計算通りだった」なんて発言を聞いていると、「この人は間違いなく見えている」なんて思念に憑りつかれ、「監督が評価していたセサルは本当はすごいバッターだったのかも……」と現在MLBあたりで大ブレイクしていないか調べては我に返る日々を送ってしまいがちだ。

 その言葉は、まるでノストラダムスの四行詩。野球地獄の底の底で鬼に出会った達人だけが理解できる、野球奥義の神髄を読み解くカギがその言葉には散りばめられているような気がするのは、子供の頃に五島勉先生の著書を擦り切れるほど読み返していた筆者だけではないはずだ。

 そんな落合博満とドラゴンズの8年間を、監督の言葉と共に振り返ってみたい。

最高のファンサービス……それは中日が勝つことだ!

「勝てるチームにしてくれ」

 契約時にオーナーから言われた願いは、契約社会で生き続けてきた野球職人の唯一の正義ともいえる。

「名古屋の中部圏の東海地区のお偉いさんが集まっておられます。私は何も喋らないからアイツは何だと思われるでしょう。年に一回、優勝した時しかしゃべりません。これからも変わりませんし、変えるつもりもありません」('06年 優勝祝賀会で800人の財界人を前にしたスピーチ)

「監督の仕事って何なんだと考えた時に、それは勝つことだと思っています。ファンサービスと言われますが、どこですりゃいいんだ」('06年11月29日付東京中日スポーツ)

「中日ドラゴンズをもっと強い勝てるチームにするのが私の責任の取り方だと思っています」('08年のファン感謝デーでのスピーチ)

「契約書通り。この世界は、そういう世界」('11年9月22日 退任発表後)

「監督は勝つことが仕事」とし、余計な政治にも愛想を振りまくファンサービスにも執着しない。ただひたすらに勝利だけを追い続ける姿勢に相俟って、職人肌の天才の不器用さ故か、言いにくいこともオブラートに包まずハッキリ口にしてしまうのだから……そりゃ敵も作る。

【次ページ】 選手に要求したのはプロの自覚と結果に対する自己責任。

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