チャンピオンズリーグの真髄BACK NUMBER
アーセナルの抱えるリスク。
text by
杉山茂樹Shigeki Sugiyama
photograph byAFLO
posted2008/04/10 00:00
この原稿はチャンピオンズリーグ準々決勝第2戦の前に書いている。結果が分からない段階で書いたモノを、結果が分かった段階で読んでもらうことになる。下手なことを書けば冷笑される運命が待ち受ける。だが、スリルは満点。というわけで、注目のリバプール対アーセナルの結果を占いたい。僕の予想はずばりリバプール。
もっとも、準々決勝の第1戦の前に書いた前回のこのコラムでも、僕は同じ予想を立てている。つまり、アーセナルホームで行われた、その1対1という折り返しのスコアは、予想通りの展開だったと言えるが、ここでは、前回触れた「立ち位置」の問題とは別の視点で迫ってみたい。
お題は、セスク・ファブレガスとアーセナルの関係性について。
今季のアーセナルは、良いサッカーをしているとは、これまでにも僕は、このコラムも含め至る所でさんざん述べてきた。ベンゲルが監督に就任して以来、最高のサッカーだと。ピッチの四隅を巧みに使った横崩しサッカーであり、それに基づいた流動性のあるサッカーであると。
そこでファブレガスは、どんな役を果たしていたか。このコラムの第56回「全て計算通り」で、僕はアーセナルのセスクを眺めながら、以下のような感想を記している。
──ふと、ドイツW杯でのコートジボワールを思い出した。オランダ、アルゼンチンと同じグループで戦ったコートジボワールは、両強豪に対して1−2のスコアで惜敗した。内容的には互角以上の戦いをした。圧倒する場面さえあった。どちらが強者か、分からないほどだった。(中略)ただ、試合運びが下手だったのだ。凄いけれど単調。
その間隙をオランダ、アルゼンチンに突かれた恰好だった。
「交通整理」のできる選手が1人いれば優勝候補なのにとは、その時に抱いた感想だ。その思いはいま、いっそう確信に近づいている。アーセナルのファブレガスが、もしコートジボワール人なら、次回2010年大会でコートジボワールは優勝できるのではないかと思ってしまう──
つまりファブレガスは、アーセナルにとっての交通整理役というわけだが、それはすなわち、彼には代わりがいないことを意味する。ファブレガスあってのアーセナル。彼とそれ以外の選手との間には、プレイスタイルという点において著しい開きがある。
そこにアーセナルの問題がある。決勝トーナメント1回戦の対ミラン戦は、その魅力が存分に発揮された一戦だった。いっぽうで、アーセナルが苦戦した試合に目をやれば、ファブレガスの調子も決まって悪い。彼が終盤、疲れると、アーセナルのパフォーマンスもグッと落ちた。
1人の選手の好不調が、ここまでチーム力を左右するチームも珍しい。この選手が出なければ、ウチのサッカーができないというチームは、欧州のトップクラブにあっては希なのだ。C・ロナウドがいなくても、マンUはマンUのサッカーを貫ける。ジェラードがいなくても、リバプールはリバプールのサッカーを貫ける。メッシやロナウジーニョやエトーがいなくても、バルサはバルサのサッカーを貫ける。それが致命傷にはならないのだ。
そのアーセナルの特異性が、シーズン終盤に来て悪い方に転んでいるように思えて仕方がない。いくら20歳の若者とはいえ、いつでも元気いっぱいでいられるわけはない。休みが与えられなければ、必然パフォーマンスは低下する。だが、アーセナルにはそれができない。アレンジが利かないのだ。線の細さを感じずにはいられない。
確かにアーセナルのサッカーはモダンである。進歩的であり模範的だ。しかしその中に古さの象徴とも言うべき、ワンマンチーム的な体質を垣間見ることもできる。
片やリバプールのベニーテスは、15〜16人のメンバーを、誰か1人に特別な負荷をかけることなくローテーションで巧く回している。毎度シーズンが深まるにつれ、尻上がりに調子を上げてくる要因の一つだろう。プレミア4強の中では、最後尾に位置するが、平均ペースを守ることにかけてはどこよりも優れている。チャンピオンズリーグに強い原因だと思われる。
はたして結果はいかに。ただ、アーセナルがもしリバプールを下しても、優勝候補の筆頭に推すことはできない。ファブレガス依存症が急に治まるとは思えないので。