ジーコ・ジャパン ドイツへの道BACK NUMBER

2005年 VSウクライナ 

text by

木ノ原久美

木ノ原久美Kumi Kinohara

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photograph byTamon Matsuzono

posted2005/10/17 00:00

2005年 VSウクライナ<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

 「この試合はなかったものとして、すべて忘れることにする」。

 10月12日、キエフの五輪競技場で行われたウクライナとの親善試合で、日本は89分の不可解な判定によるPKで0−1で終了。その試合直後の会見で、ジーコ監督は激しい怒りを露に、こうまくし立てた。

 降りしきる雨で重みと滑りやすさを加えたピッチをものともせず、ウクライナはプレッシャーをかけてボールを奪い、サイドに展開。だが、ゲームメーカー役が不在の上、強力2トップのシェフチェンコとボロニンを風邪による発熱で欠いた地元チームに、決定力はなかった。

 日本はボールを奪えるようになると、相手のサイドバックが上がった後のスペースを利用して、この位置に流れたFW柳沢らにMF中田英寿やMF中村からボールが出るようになるが、シュートで終われない。

 前半を0−0で折り返した後半早々に日本にとって最初の悲劇が起こった。

 ボランチでプレーしていた中田浩二がMFボロベイにタックル。後ろから相手の足に行ったとして一発退場になってしまった。

 一人少なくなった日本はDF箕輪を投入して3−5−1の布陣にして稲本をボランチ役にシフト。さらに相手を押し込むべく、松井と村井をベンチから送り出した。

 何回か押し込まれるシーンがあり、後半30分にはMFフシンのシュートがバーに阻まれる危機もあったが、相手の決定力不足にも助けられて、89分のPKまではゴールを許さなかった。

 問題の場面は、ペナルティエリア内でボロベイとハイボールを競り合った箕輪が、相手へのファウルを取られたのだが、PKとするには首を傾げたくなるようなものだった。日本にとっては理不尽な失点も、ワールドカップ予選突破後の親善試合2試合で2連敗していたウクライナにとっては、3戦勝ち星なしを免れる貴重なゴールだったに違いない。

 失点は残念だったが、冷たい雨の中、しかも平日午後5時キックオフで観客はまばらながらも、ウクライナサポーターのチアホーンがブーイングのように鳴り続ける敵地で、一人少ない状況でいかに負けずに試合を終えるか、日本にとってはいい練習になったはずだ。

 東欧遠征2連戦の結果は1分1敗となったが、この2試合で久々に起用できた欧州組と新戦力を試すことができた事実は大きい。

 しかも、次の親善試合である11月16日のコートジボワール戦は、欧州シーズンとの兼ね合いで中村や中田英寿らの欧州組がどれだけ招集できるかわからない。今回の遠征で時間を共有し、練習や試合のピッチでお互いの意見を交換し、プレーを確認できたことは今後にとってプラス材料だ。

 GK川口は、「茂庭、駒野や箕輪とか、少ない(出場)チャンスにも一人一人が高いパフォーマンスを出していた。チームとしての底上げになっている。みんなコミュニケーションを図って、チームの融合という意味ではいい面が出ていたと思う」と話す。

 ジーコ監督も「松井はよかったし、ひし形の中盤も機能した」と手ごたえを口にしている。

 DF茂庭とDF駒野も冷静さを見せ、このチームでプレーがこなれてきたことを感じさせた。また、ラトビア戦で見せた中田浩二の左SBでのプレーも、いいオプションになりそうだ。特に、守備力と攻撃センスを併せ持つMF松井との左サイドでのコンビネーションは評価できるのではないか。

 試合後、怒りのままに冒頭のセリフを口にした指揮官だったが、この試合、忘れる必要はないだろう。

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