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湘南ベルマーレ“平成の臥薪嘗胆”。
「生きるか死ぬかの500試合」
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2009/12/10 10:30
「就任1年目でのJ1昇格は、決して偶然じゃない」
誰もいないベンチへ戻ってきた反町監督に、眞壁潔社長が近づいてきた。深々と頭を下げ、反町の右手を両手で握りしめた。
「ソリがね、『社長、持ってますねえ』って言ったんですよ。でもね、持っているのは僕じゃない。彼です。就任1年目でのJ1昇格は、決して偶然じゃない」
おお、練習と同じじゃないか。ああ、また練習どおりの形で入ったぞ。
平塚競技場のスタンドで、アウェイゲームのピッチレベルで、眞壁はそんな思いを抱いてきた。一度や二度ではない。トレーニングの賜物と言っていいゴールを、何度となく目撃してきた。
「49節の甲府戦のゴールなんて、前日練習とまったく同じだった。練習でみてきた風景が、本番で繰り返される。今日だって、ラッキーなゴールなんかじゃない。日々の練習で作り上げてきたものが、そのまま発揮された結果なんだと思う。僕はサッカーの素人ですけれど、素人ながらこの10年、生きるか死ぬかのなかで500試合近くを観てきた。そういうなかで言うと、彼はたいした監督だと思います」
眞壁社長と大倉強化部長、そして反町監督による改革が始まった。
湘南ベルマーレというクラブにとって、反町監督はある意味で“最後のカード”だった。
2004年10月に現職に就いた大倉智強化部長は、「ハードワークができて、チームのために行動できる選手」という基準のもとでチームを変えていった。10億円未満の予算規模でクラブを運営していく以上、選手の年俸や補強に充てられる金額は限りがある。将来有望な選手や即戦力のタレントを、J1のクラブやJ2の上位チームとの競合で獲得するのは難しい。
それならば、「ハードワーク」と「チームのために」というキーワードを満たし、「練習から100パーセントの力で取り組める選手」を鍛え上げていこう、と考えたのである。メンバー編成を進めていく過程では、十分な実績を持つ生え抜き選手の解雇という英断も下した。
眞壁社長との二人三脚による改革は、クラブを少しずつ変えていく。'07年は6位、'08年は5位と、わずかながら順位をあげていった。しかし、大倉強化部長は厚い壁も感じていた。
もうひとつレベルアップしていくには、J1に昇格した経験があり、さらなるレベルアップをはかれる監督が必要ではないだろうか。付け加えるならば、かつて“湘南の暴れん坊”と呼ばれたベルマーレの遺伝子を継承してくれる監督がいい。考えられる人材は、ひとりしかなかった。