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<氷上のスピードスター> 長島圭一郎 「無我の境地を目指して」 ~特集:バンクーバーに挑む~ 

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矢内由美子

矢内由美子Yumiko Yanai

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photograph byNobuyasu Yamazaki

posted2010/01/11 08:00

<氷上のスピードスター> 長島圭一郎 「無我の境地を目指して」 ~特集:バンクーバーに挑む~<Number Web> photograph by Nobuyasu Yamazaki

トリノ出場は達成したが「実力がないのに出てしまった」。

「これではいけない」と思って臨んだ'05-'06年シーズンは、トリノ五輪出場という大目標があった。スピードスケートの名門、日本電産サンキョーに入社し、当時、世界記録を持っていた加藤とともに汗を流した。五輪選考レースを兼ねた全日本スプリント選手権では総合初優勝を飾り、堂々と五輪切符を獲得した。

 しかし、五輪本番では500m13位、1000mに至っては32位という散々な成績。1000mのレース後は涙で顔を上げることができなかった。

「500も1000も、レースでは100%の力を出せたので、そのことは良かったのですが、(あまりの惨敗に)悔しい気持ちすら湧き上がってきませんでした。とにかく情けないという思いだけでした。『実力がないのに出てしまったな』と。だから、それからの4年間は、実力をつけることだけしか考えませんでした。足りない個所があと一つという程度なら、トリノ五輪であんな成績だったはずがない。だから、すべてが足りなかったんです。練習量を増やし、スタート、カーブ、バックストレート、全部変えました。本当にスケート一本の生活でしたね」

 課題だったスタートダッシュは、ビデオを何度もチェックしながら修正。右足を置く角度と体重移動の配分を変えた結果、世界トップクラスの域に少しずつ、少しずつ近づいてきた。元からの長所であるなめらかなスケーティングは、ひざを柔らかく使い、低いフォームを保つことを心がけ、一層磨きをかけた。コーナーワークの改善のためには、よりカーブのきついショートトラックの技法を取り入れた。'06年秋に韓国に遠征し、トリノ五輪金メダリストの安賢洙と合同練習をし、コツを学んだ。

号砲がバンッと鳴って、何も考えずに滑るのが理想。

 肉体改造も試みた。'08年秋には所属チームの海外合宿から離れて一人で山篭り。過酷な陸上トレーニングの成果で、短距離陣の中では細い方だった太腿が一回りもふたまわりも太くなった。帰国して久々に会った加藤が「長島さんの足が太くなっていて驚いた」と言うほどの変化だった。トリノ五輪のころ65キロだった体重は、70キロにまで増えた。

「短距離に転向して、まだちょうど10年しか経ってないんです。だから遅咲きとは思っていません。スピードスケートでは早熟で生き残る人はあまりいないんじゃないかな。徐々に力をつけている人の方が生き残っていると思うし、その方がまだ成長しているっていうことだと思っていますから」

 と胸を張る。

 昨シーズンの欧州遠征時、オランダチームのコーチから、

「ウォザースプーンとデービスと長島の滑りを合わせたのがスケートの完成品だ」

 と声をかけられた。大ベテランのウォザースプーン(カナダ)は男子500mの世界記録保持者であり、長島にとっては「神様」という存在。デービス(米国)は、トリノ五輪男子1000mで黒人初の金メダリストとなった、いずれも超一流選手だ。長島の無駄のない滑走フォームは、本場のコーチをもうならせる域に達していたのだ。

「そう言われたのは凄くうれしかった。僕にとって理想の滑りとは、滑りたいように滑る、体が動きたいように動かすこと。号砲がバンッと鳴って、何も考えずに滑るのが理想です。今は、スタートで構えるときからゴールするまでずっと考えていますけどね」

【次ページ】 バンクーバーで最高の滑りをみせるための調整に着手。

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