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<アフリカの雄を多角分析する> カメルーン 「運命を変えたひとつの死」 ~南アW杯対戦国研究~
text by
ジョナサン・ウィルソンJonathan Wilson
photograph byGetty Images
posted2010/01/23 08:00
新監督により主将に任命されたエトー。今夏のW杯でも彼の出来がチーム浮沈の鍵を握る
だが今回のアフリカ地区予選では、予想外の苦戦を体験。一時は南アフリカへの道が閉ざされたかにさえ思われた。
今夏のW杯で日本が最初に対戦する「不屈のライオン」。その知られざるドラマを、多角的な分析とともに紹介する。
ガボンが悲劇に見舞われていなければ、「不屈のライオン」がW杯に駒を進めることはなかったかもしれない。
W杯アフリカ地区予選の最終ラウンド。カメルーンはガボン、トーゴ、モロッコと同組になる。カメルーンの優位は明らかだったが、戦い模様は思いもかけぬ展開を見せる。
2試合を消化した時点で、首位は勝ち点6のガボン。対するカメルーンの勝ち点はわずかに1。アウェーでトーゴに0-1と敗れたばかりか、ホームでもモロッコに0-0で引き分け、いきなり窮地に立たされた。
そのような状況を招いたのは内紛である。代表を率いていたドイツ人のオットー・プフィスターは、選手の起用法などを巡って5月末に辞任。GKコーチが急遽代行監督を務めるなどチームは混乱の極致にあった。
しかもカメルーンが第3節で対戦することになっていたのはガボンだった。当時の状況からして、ガボンに敗れる危険性は少なくなかった。そうなればグループ首位のガボンとの差はさらに広がり、南ア大会への道は事実上閉ざされていたに違いない。
ガボンの大統領逝去による試合延期がカメルーンを救った。
そこで起きたのが、ガボンの大統領の死である。42年間にわたって国を統治してきたオマール・ボンゴは癌のために死亡。6月20日に予定されていた直接対決は延期され、カメルーンは命拾いをする。
9月、ガボンとついに相まみえる頃、カメルーンは生まれ変わっていた。フランス人のポール・ルグエンを新監督に迎えたチームは、3、4カ月前とは見違えるようなプレーを披露。
9月5日にガボンのホームで行なわれた試合では、アシル・エマナ(ベティス)とサミュエル・エトー(インテル)のゴールによって2-0で勝利する。4日後、母国で行なわれた試合でも、カメルーンはエトーのゴールなどで宿敵を2-1と下し、南ア行きの切符をほぼ手中に収めたのだった。