サハラマラソン挑戦記BACK NUMBER

ついにサハラ砂漠252kmを完走……。
地獄のマラソンを通じて分かったこと。 

text by

松山貴史

松山貴史Takashi Matsuyama

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photograph byTakashi Matsuyama

posted2011/05/13 06:00

ついにサハラ砂漠252kmを完走……。地獄のマラソンを通じて分かったこと。<Number Web> photograph by Takashi Matsuyama

ゴール後に完走メダルをかけてもらった。徒労感に襲われる

父親が亡くなった。

 その後、数日間ヨーロッパを周り、ルフトハンザで関西国際空港に到着。これでサハラマラソンも無事終了かと思っていた。

 4月1日、父親が亡くなった。

 関空に到着後、そのことを知った。

 家族はレース中ということで、敢えて自分には知らせなかったらしい。自分に知らせればどんな手段を使ってでも帰って来ることが分かっていたからだろう。

 最後の最後で親不孝をしてしまった。

 出発直前に顔を見せられたことだけが、唯一の救いだ。特に理由も聞かず、行きのフライトを成田から関空に変更していただいたルフトハンザ航空には本当に感謝しています。

 凄く後付けのように聞こえるが、約1年前から父親は闘病生活を送っており、サハラマラソンはそんな父に対する励ましの意味も込められていた。

 運動の全くできない頃の自分しか知らない父親に、世界一過酷なマラソンを完走して驚かせてやろうという思いがあった。当初驚かせるためにコッソリやっていたが、Number Web経由でバレて以降は、どれだけ努力しているのか分かってもらうために、自ら新聞社に売り込んで新聞に掲載してもらったりと宣伝活動までもした。

 別に冷え切った関係ではなかったが、そういう間接的なコミュニケーションでしか「励まし」を伝えられなかった自分を恥ずかしく思う。照れずに色々伝えておけばよかったが、もう遅い。

「life=生きている」ことを感じるため、冒険にでる。

 レース中に、あるアメリカ人選手と仲良くなった。

 彼の名はパトリックさん(主催者のパトリック氏とは別)。投資家で、世界を旅して情報を集めて、投資先を決めているらしい。恐らく砂漠で会わなければこっちが気後れするぐらいの金持ちだろう。彼はなんと12回もサハラマラソンに出場している。Racing The Planetが主催するエジプトのサハラレースや中国のゴビマーチなど、全ての砂漠マラソンに出場したらしいが、「このモロッコマラソン(サハラマラソン)がオリジナルで、あとは全部コピーだ。他のレースはテントがしっかりしている上、お湯が使えるので、モロッコマラソンが一番過酷だ」と言っていた。これはあくまで一個人の意見だが、サハラマラソンしか知らない自分は単純に嬉しかった。そして彼に何でそんなに何度もサハラマラソンに出るのかを尋ねると意外な答えが返ってきた。

 毎年出場しているのは「life=生きている」ことを感じるためだ。

 砂漠では気を抜くと本当に命を落としてしまうので一日一日を全力で生きないといけない。そういった緊迫感ある環境を毎年4月に経験することにより、それ以降の日常生活も全力で過ごせるのだそうだ。

 不意にこのことが思い出された。

 この生きるか死ぬかギリギリの生活の裏側で、父親は既に亡くなっていた。自分の中でサハラマラソンは、ただのマラソン以上のものになろうとしていた。

挑戦することの素晴らしさを伝えたい。

 自分は何のためにサハラに行ったのだろう。

 エントリーした理由はたくさんあったが、当初のふたつの大きな理由は、自信を付けたい、そしていま住んでいる和敬塾のみんなに挑戦することの素晴らしさを伝えたいということであった。昔はうちの寮も凄くチャレンジに対して寛容な風土があったみたいなのだが、昨今の不況などの影響もあり、安定志向の学生が増えているように感じていた。うちの寮生がこの有様では日本はもっとマズい……何故かそう飛躍してしまい、寮の中でも代表的ポジションになって自分が無茶をしてやろうと、サハラマラソンのエントリーに踏み切ったのだ。

 寮の中でも当初は、砂漠を走るという頭のおかしい人という風に見られていたようだ。地動説を唱え変人扱いされたガリレオの気持ちが良く分かるような気がした。

 耳学問になるが、アメリカの社会学者クランボルツが提唱した学説に「計画的偶発性説」というものがある。これは、人の行動様式にはゴールを定めて一直線に向かっていくというタイプだけでなく、とりあえずアクションを起こすことによって、偶然出会う人やモノに触発され、ベクトルを変えながらも最終的にゴールに辿り着くというタイプがある、という説だ。

 今回のサハラチャレンジはまさしくこれだった。

【次ページ】 本当にありがとうございました。また会いましょう!

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