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<ノンフィクション> 86歳のサッカー少年 ~最高齢記者・賀川浩の半生~
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph byAtsushi Kondo
posted2011/05/11 06:00
神戸一中はサッカー強豪校であり、進学校でもあった。メガネ着用率が高い。前列左から2番目が5年生の賀川。'41年撮影、賀川所蔵
10大会連続のW杯取材を断念した2010年だったが……。
平木隆三は賀川が若い頃から懇意にしている仲間の一人で、当時協会の技術委員長を務めていた。
こういう問題になってるらしいわ、と賀川。
ああ、それはひっかかりますなあ、と平木。
あいつが子どもにサッカー教えるのうまいの、わかってるやろ?
それはようわかってますよ。
わかってるんやったら、ええやないか。ちゃんと考えたってえな。
「ルールなんてのは、良かれと思って作るんやろ。自分らに合うようにしたらええんやから」
その後、セルジオには特別認定コーチという資格が与えられた。
2010年、それは賀川にとって少し複雑な1年だったはずだ。'74年から9度連続で取材したW杯だったが、南アフリカは持病の腰痛が悪化し断念せざるをえず、オカダ元少年の勇姿を現場で見ることは叶わなかった。そんな1年の終わりに、賀川を慕う大勢の人間が集まり、殿堂入りを祝ってくれたことは、サッカーの神様が与えてくれた素晴らしいプレゼントだったのかもしれない。
およそ2時間が過ぎ、宴の最後に、その夜の主役が壇上に呼ばれる。86歳のサッカー少年は杖をついてゆっくりとステージに上がり、いつものように、短いけれどそこにすべてが語られている、そんなスピーチを行なった。
手を使うスポーツがここまで盛んな国で、足を使うスポーツが盛んになった国はそれほどないんですね。なぜそうなったかというと、それはここに集まってるようなサッカー好きが日本全国にいて、その人たちが一所懸命、何回負けても、次はがんばろう、次こそはと、それこそアホみたいにやってきたからなんです。そのがんばりが、W杯の初出場になり、ベスト16になっていったんです。
賀川が引いたレールの上をようやく新幹線が走るようになってきた。
もちろん賀川浩も、そのアホみたいにやってきたサッカー人たちの一人である。
セルジオ越後は言う。
「賀川さんはね、日本サッカーの上にレールを引いた人。そのレールの上を昔は普通列車が走って、今はようやく新幹線が走るようになってきた」
岡田武史は言う。
「レンガって、上に向かって積むためには、横にもたくさん積んでいかなきゃいけない。代表の監督をやっていると、ものすごくたくさんの人が、その横の部分のレンガを積んできてくれたことに気付かされるんです」
そして賀川浩は言う。
「種蒔いてきたことが、やっと芽が出て育ってきたとは思う。けどなあ、人口が1億おって、こんだけサッカーが盛んになってきて、ベスト16や! って喜んでたらあかんやろ。クロアチアなんて人口400万人やで。代表チームに一体感があるって、そんなんあって当たり前やろ、代表チームなんやから。だから、みんなまだまだ幼いなあ、っておれは言うねん」