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<ノンフィクション> 86歳のサッカー少年 ~最高齢記者・賀川浩の半生~
text by
近藤篤Atsushi Kondo
photograph byAtsushi Kondo
posted2011/05/11 06:00
神戸一中はサッカー強豪校であり、進学校でもあった。メガネ着用率が高い。前列左から2番目が5年生の賀川。'41年撮影、賀川所蔵
「賀川さんは人間国宝みたいなもん」(日経・武智幸徳)
1990年、新聞社を勤め上げた賀川はフリーのサッカーライターとなる。京都新聞に初めての記事を書いてから39年が過ぎていた。その39年間で、賀川は記者として、あるいは一人のサッカー人として、釜本邦茂や杉山隆一といった戦後の日本が生みだした選手たちの成長を見守り、彼らの本を出版し、日本で初めて法人格を取得したサッカークラブ、神戸FCの設立に尽力し、少年育成のためのサッカースクールを立ち上げ、Jリーグのマッチコミッショナーを務め、数えきれないインタビューをこなし、そして記事を書いた。
悠々自適の隠居生活を送ることは選択肢として存在しなかった。賀川はまだサッカーを見続けたかった。そして彼にとってサッカーを見るということは書くことだった。書こうとするからすべての細部を覚えていられる。
「あの人の、いいところから見ていこうとする姿勢が私は好きなんです」
現在、日本経済新聞で編集委員を務める武智幸徳は、日経に入社した1984年から、ずっとサッカーを書き続けてきた。賀川が寄稿するサッカー専門誌に自らも連載を持ち、その連載はすでに400回を超える。
「私の世代の記者にとって、賀川さんは人間国宝みたいなもんです。マスターの中のマスター、ヨボヨボなふりして実はものすごく強い、みたいな」
現在50歳になる武智が賀川浩という記者の『視点』を強く意識したのは、'82年あたりになる。
賀川の「視点」はイニエスタの技術をどう捉えるのか。
「当時の私はイタリアサッカーのファンだったんですよ。'82年のスペイン大会で、そのイタリアが優勝して、でも日本ではぼろくそに言われていたんですね」
このW杯では、ジーコを擁するブラジル、マラドーナのアルゼンチン、あるいはフランスの見せる華麗なパスサッカーが日本人サッカーファンの心を魅了していた。しかしイタリアは、鉄壁の守備、相手エースへの徹底的なマークと、パオロ・ロッシを中心とする高速カウンターで、スターチームを次々に打ち砕いていった。
「どの記事を読んでも、イタリアは汚い手で勝っただけ、って。その中で賀川さんだけは、イタリアのカウンターの鮮やかさについてびしっと書いてくれていました」
加えて、賀川浩は日本には稀有な、選手の技術について語れる人だと武智は指摘する。例えばイニエスタについて、賀川浩というライターはこんな表現をする。
イニエスタはね、彼は右利きなのに、左利きの左足と同じレベルで、右足を操るところがすごいんや。それで尚且つ、左足も同じように上手いからね。おまけに小さいから足首も“立つ”。立つから、インサイドも、インステップも、アウトサイドも素早く蹴れる。だから相手は彼が次に何をしてくるか読めないんやな。
「戦術ならみんな語れるけど、そういうふうに選手のプレーについて語れる人って、ほとんどいないですよ」