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<知力、体力、乙女力> チーム青森 「思いをひとつに」 ~特集:バンクーバーに挑む~
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byToshiya Kondo
posted2010/01/25 10:30
日本代表決定戦ではチーム長野を4連勝で下した
山浦麻葉は五輪でメダルを獲るという強い意志を秘めていた。
まずは、3人になってしまったメンバーをどうするか。スタートはそこからだった。
ブームとなったトリノの波は、あちこちに広がっていた。
当時、大学生だった山浦麻葉は、思わぬ光景を目にした。雨のキャンパスで、友達が傘をブラシに見立てて、スイーピングのまねをしていたのだ。
「へえっ。カーリング、本当に人気が出てきたんだな」
チーム青森から加入の誘いが来たのは、オリンピックから3カ月後のことだった。あまりにも突然だったので、山浦は戸惑った。
「なぜ私なのだろう」
それまで山浦は、長野の「チームギャロップ」のスキップを務めていた。チーム青森の選手たちとプレーしたことはない。
トリノ五輪のカーリングの中継は観ていた。でも、どこか思い入れを持てなくもあった。それは、山浦が目指すカーリングとのスタイルの違いに理由があった。青森はとても守備的で、相手のミスを待ち、隙を突いて点を取りに行く戦術だと映っていた。だが山浦は、積極的に攻めるスタイルが好きだった。それも戸惑う原因だった。
チーム青森が必要としたのは、彼女の強い意志の力だった。山浦は、マイナーなカーリングをメジャーにしよう、そのためにはいつかは自分がメダルを獲るしかないという強い思いを秘めていた。それはいつしか姿勢にもにじみ出ていたのだ。
山浦は考えた末、オファーを快諾する。
もう一度世界で勝負するために石崎琴美はチーム青森へ。
'07年12月、もう一人の選手がチームに加入する。石崎琴美である。'02年のソルトレイクシティ五輪に参加し、'06年3月に所属チームが解散したあとはカナダでプレーしていた選手だ。寺田が体調面の問題から休養を申し出ていたことがきっかけだった。
石崎にとって、トリノ五輪は、複雑な思いでみつめる大会だった。自分たちのチーム「東光舗道」も出場を目指していたし、トリノに出場できなかったことで解散も既定路線になってしまった。だからはじめは素直に応援できなかった。純粋に応援しようと思えたのは、カナダ戦からだ。初戦の敗北から調子が上がらないまま迎えた強豪との一戦。そこで見えた必死な姿に心を動かされたのだ。
チーム解散後、石崎はカナダに渡る。一度、違う世界を見てみたかったからだ。
それは新鮮な世界だった。結果を気にせずにプレーする中で、カーリングの楽しさを知った。と同時に、勝負抜きのプレーに物足りなさを覚えてもいた。そんなとき、チーム青森に加わることになったのだ。
はじめは不安だった。
「自分にできるのだろうか」
チーム青森は日本代表でもある。いきなり代表チームに加わってやっていけるのか。
迷いを断ち切ったのは、チャンスにかけたい気持ちの強さだった。ソルトレイクシティは大会には参加したものの、リザーブとしてであり、試合に出場できなかった。トリノは出場を逃した。
もう一度世界へ。その思いが勝った。