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宴会自粛の千鳥ヶ淵、上野、谷中。
桜の下で震災後の日本を考えた。
 

text by

疋田智

疋田智Satoshi Hikita

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photograph bySatoshi Hikita

posted2011/04/23 08:00

宴会自粛の千鳥ヶ淵、上野、谷中。桜の下で震災後の日本を考えた。<Number Web> photograph by Satoshi Hikita

都内屈指の名所、谷中墓地は桜のトンネル。

 さて、その上野から、動物園の横を通って、ちょっと北西に走っていくと「上野桜木」という名の、わお、今回のテーマにぴったりという交差点があり(でも、その交差点周辺には、これといった桜はない)、それをこえてしばらく行くと谷中だ。

 おー、谷中、おぢさん(←分かる人には分かる、谷中名物・質屋の看板)、畳屋、豆腐屋……、相変わらずの昭和感というか、ここはやはり東京と江戸との中間点なんだなあなんて思う。で、道はそのまま谷中墓地に突入だ。谷中墓地は都内の墓地の中でも「街並み」と「墓地」の境界線があいまいな墓地だから。

 その谷中墓地、東京屈指の大規模霊園であると同時に、都内屈指の桜の名所でもある。

 じつは上野公園から、歩いてだって大丈夫。そういう感じに散歩する老夫妻などもチラホラいる。

 墓地に入ると、おお、見事だ。

 オッペケペ節で有名な川上音二郎の銅像台座(墓じゃない。味わい深い)などを横目で見ながら、自転車を押して歩いて行く。と、そこはいつの間にか、大きく手を伸ばした桜の古木が並木となり、文字通りの桜のトンネルとなる。

 桜トンネル。西の造幣局(これはもう関西では超有名な桜トンネルの名所)、東の谷中墓地、てなもんだ。

 それにしても、あらためて思う。東京という街には、本当に桜が多いな。いわば「さくらのみやこ」東京。

 いやなに、桜といえば本場は京都? それとも吉野だって? ところが、こと現在にいたって、そんなことはないのである。

 桜の本場は、お江戸東京。

 なぜかというなら、日本中の桜、今やダントツでメジャーの「ソメイヨシノ」は、発祥の地が江戸の染井村、現在の東京駒込5丁目あたり(前々回参照)だからだ。

 一説によると、この地でエドヒガンとオオシマザクラが偶然に交配されたという。ソメイヨシノに関しては、ここ、お江戸こそが桜の本場である、という言い方に間違いはないのだ。

 葉よりも先に、一斉に花が満開となる。その数、清楚な色、それでいて華やかで、しかも大きく整った花の形。そのあまりの見事さに、地元の植木職人が挿し木で殖やした。これがすべての始まりだった。

全国の桜は、いずれも子、孫……。

 ソメイヨシノはサクランボ、つまり実を付けない。

 だから、その苗木は、そのように、すべて挿し木によって増やされたものだ。

 ということは、全国のソメイヨシノは、染井村の「原木の子孫」どころではない。子孫というより、本人そのもの。いわば“クローン”なのである。

 考えてみればすごい話だよなぁ。

「生物」というものが生まれて以来、あらゆる生物は、自らの子孫を残すべく、なんらかの形で生殖し、子を産み、ある者は数で勝負、ある者は強さで勝負、と、強みを磨き、才能を磨き、生き残りの道を探ってきた。種の保存にしのぎを削ってきた。

 ところが、このソメイヨシノという木は、その才能、ただひたすら「花が見事!」というだけなのだ。実も付けない。それなのに、人類という別種の生物に愛でられ、頼みもしないのに、勝手に挿し木され、殖やされ、結果、全国に蔓延する栄華を誇っている。

 こういう“種の保存”もあるのだ。

 考えてみれば、不思議なものだなぁ。

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