自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
宴会自粛の千鳥ヶ淵、上野、谷中。
桜の下で震災後の日本を考えた。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2011/04/23 08:00
いやまあ、春爛漫である。桜前線はすでに首都圏を過ぎて、東北地方を北上している。
しかしながら、こんなに憂鬱な桜の季節も珍しいな。珍しいどころか、私の44年の人生の中で、こんなに気持ちが浮き立たない春は初めてだ。
もちろん東日本大震災である。
もう“あの日以前”には戻れない。
被災者の方々のことを考えると、到底、春だ、暖かいな、気持ちも華やぐな、……なんて気分になれない。理不尽な自然の暴力で、家族や家財、何もかもを失ってしまった人が、何万人もいるのだ。
そして、もう片方で、単なる地震じゃない、原発事故、放射性物質の拡散という途轍もない現実まで、背負ってしまった。
フクシマのみならず、東京も、日本も、もう“あの日以前”には戻れない。そんな気がしている。この東京の桜を見上げていても、どことなく「見えない毒」のようなものが降りかかっているように見えるよ。
誤解なんすよ。
放射線なんてそんなもんじゃない。んなこたあ、分かってるって。
だいたい東京で日々そんな「毒」が降りかかっているようなら、福島や茨城の人なんてどうするって話だ。
現実としては、毎日報道されるように、首都圏の放射線量なんて知れている。健康被害も考えにくい。50年代(各国が盛んに核実験をしていた頃)の東京測定値の方が、今よりはるかに高かったんだから。
紅毛碧眼の彼よ、ありがとう。
でもね、それはそれで分かっているとしても、心のどこかに茫漠たる不安があるのも事実だ。心の底から笑えない、楽しめない、という気がどこかにある。
このぼんやりとした不安、いつになったら終息するのだろう。1年? 数年? おそらく放射線がどうの、なんてことじゃないな。原子力自体を考え直すこと(必ずしも原発全廃なんてことではなくとも)、いや、我々ひとりひとりがエネルギー浪費三昧の生活を考え直すこと。そして、被災者たちがそれなりに次の生活のメドを付けることができてはじめて、というところなんだろう。
なんてことを考えつつも、やはり春はきた。くるものはくる。だから私は自転車で六本木ヒルズ、乃木神社、赤坂サカス、と、都心をめぐっていく。
桜は何も知らない。何も知らずに、毎年、その場にいて、律儀に咲くだけである。
六本木ヒルズでは、見事な桜の下でお弁当を食べている人がたくさんいた。近くのサラリーマンもOLもいるし、メッセンジャーもいる。
あ、外国人もいる。そうか、あなたは風評に惑わされず、逃げないでいてくれたんだね。なんだか「ありがとう」なんて思ってしまう。
バブルの象徴・赤坂プリンスホテルを待っていた物語。
都心、六本木・赤坂エリアを走っていくと、ひときわ人々の注目を集めている桜があった。赤坂見附近く、弁慶堀に咲く桜だ。
背景にそびえ立っているのは、あの赤坂プリンスホテル(グランドプリンスホテル赤坂)。この7月から解体工事が始まる。つまりこの桜の風景は、今年が見納めなのだ。それを知る人が多数集まり、満開の桜の前で、携帯電話のシャッターを切っていた。
4月から6月まで、このホテルは、被災者の宿舎となる。
バブルの象徴・赤坂プリンスホテルの物語に、ラストのラストで、こんなシナリオが待っていたとは、いったい誰が想像しただろうか。