メディアウオッチングBACK NUMBER
小誌にインスパイアされた
『もしドラ』筆者の秘蔵作品。
~『エースの系譜』誕生の経緯~
text by
岩崎夏海Natsumi Iwasaki
photograph bySports Graphic Number
posted2011/05/07 08:00
『エースの系譜』 岩崎夏海著 講談社 1400円+税
ぼくには印象に残っているスポーツシーンが二つある。
一つは1984年、夏の甲子園で、木内幸男監督率いる取手二高が、茨城県勢として初めて決勝進出を果たしたシーン。もともとは東京出身だが当時茨城に住んでいたぼくは、その日の昼前に立ち寄った最寄り駅の駅前が、今まで見たことがないくらいガランとしていたのをよく覚えている。皆、テレビ中継に備えて外出を控えていたのだ。これには、この県にはそれほどの郷土愛を抱いていなかったぼくでさえ、強い興奮を覚えさせられた。
もう一つは、1992年のバルセロナ・オリンピックで、岩崎恭子選手が金メダルを取ったシーン。この時は、テレビの解説をしていた高橋繁浩さんが、勝利の瞬間に大きな雄叫びをあげたのが印象的だった。
取手二高や岩崎恭子の活躍に受けた感動が執筆の動機に。
ADVERTISEMENT
高橋さんは、往年の平泳ぎの名選手だ。だから、同じ種目の後輩にあたる岩崎恭子選手の金メダルには、ひとかたならぬ喜びを覚えたのだろう。
それらを見て、ぼくは羨ましく思った。途中から茨城に移り住んだぼくでさえ、取手二高の決勝進出にあれだけ興奮させられた。競泳に縁もゆかりもないぼくでさえ、岩崎選手の金メダルにこれだけの喜びを覚えた。これが、生まれながらの茨城県民や、あるいは競泳に深く関わっている人たちだったら、どれだけ興奮させられたり、嬉しかったりするのだろうか?
一度でいいから、それを味わってみたい――そうした思いが、13年前に書いたこの作品、『エースの系譜』の執筆動機となった。
弱小野球部が成長していく歴史を小説として表現するには……。
「毎年1回戦負けが当たり前の弱小野球部が、10年という歳月を経る中でさまざまな試練に直面するもやがて成長し、ついには県大会の決勝に勝ち進んだら、その歴史を間近で見てきた人々は、一体どのような感慨を抱くのだろうか?」
それを、小説として表現することはできないか? それを、読者に味わわせることはできないか? ――この小説は、そんな意図から書かれたのである。
その際、手本となったのが、スポーツノンフィクションであった。特に、当時大ファンで貪るように読んでいた「Number」に、その書き方のヒントを見出した。