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長友佑都はデサイーになれるか?
フランスを変えた18年前の衝撃移籍。
text by
フローラン・ダバディFlorent Dabadie
photograph byGetty Images
posted2011/02/25 10:30
デサイーは、12歳の時にナントのユースチームに入り、24歳でマルセイユ入りしCL優勝。翌年ACミラン入りし、異なるチームでの2年連続となるCL優勝を果たした。1998年にはフランス代表として自国開催W杯を制覇。2002年の日韓W杯にも出場している
18年前、欧州4大リーグへのコンプレックスが消えた!
しかし、デサイーがミランに移籍したときは誰もが驚嘆することになった。個人の才能だけでなく、彼を育て上げたフランスサッカー全体が世界に認められたと思えた瞬間でもあったからだ。
そこでデサイーが成功すれば、フランス人選手たちの可能性はさらに広がり、フランス人がまだ抱いていた4大リーグ(イタリア、イングランド、スペイン、ドイツ)へのコンプレックスも解消されるに違いなかった。実際、デサイーがミランに移籍した事実だけをもってしても、そのコンプレックスは薄まりつつあった。ほんの18年前のことだ。
「私はいろいろ悩んだり考えすぎたりするタイプではない」
ミランでデサイーを待ち受けていたのは激しいポジション争いだった。長友と同様、シーズン途中での移籍であり、遅れてのスタートという難しいタイミングだった。
チームに合流してすぐ、カペッロ監督は本来センターバックだったデサイーを守備的MFにコンバートした。中盤にはイタリア代表のアルベルティーニとドナドーニ、クロアチア代表のエースであるボバン、そしてデンマーク代表のエース、ブライアン・ラウドルップという錚々たる選手が並んでいた。
当時まだフランス代表としてデビューしたてだったデサイーは、知名度でこそ負けていたものの、1カ月もしないうちにレギュラーの座を獲得した。
「私はいろいろ悩んだり考えすぎたりするタイプではない」
デサイーは、ACミランというスター軍団のなかに置かれてもなお強い自信を持ち続け、ハードワークをし、プレッシャーにもたじろがなかった理由として、そう語っている。今の長友に必要なものも、そうした自信を持つことだろう。
ビッグクラブは長友の「絶対的に特別な資質」を見抜いている。
先日、『すぽると!』(フジテレビ)のインタビューでレアル・マドリーのモウリーニョ監督に長友について聞く機会があった。彼は「インテルの関係者(スカウトやGM)が何をしようとしているのか、その意図はわかっている」と答えた。
ミランやインテル、レアル、マンUクラスは、スカウティングの目が肥えている。一般のサッカーファンの私たちには衝撃であっても、彼らにとってデサイーや長友が欧州のビッグクラブに獲得されたことは驚きでも何でもない。絶対的に特別な資質を備えていることを知っているからだ。