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「ヒデは部屋いっぱいの手紙とプレゼントを…」じつは優しい中田英寿21歳の素顔…ベルマーレ伝説の広報が見た“呂比須の帰化とクラブ存続危機”
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石井宏美Hiromi Ishii
photograph byL:Sankei Shimbun, R:Sachie Endo
posted2025/04/07 11:05

(左)ベルマーレ平塚時代の中田英寿、呂比須ワグナーら (右)広報になる前、マネージャー職に抜擢された当時の遠藤さん(2000年頃)
呂比須のほか、当時のベルマーレには小島伸幸、野口幸司、名塚善寛、反町康治、名良橋晃、岩本輝雄ら個性的なメンバーが揃うが、なかでも1995年に入団した中田英寿は象徴的な存在だった。所属した4年間でクラブに与えた影響力は計り知れない。
デビューイヤーで8ゴールを決めた実力だけでなく、中田と同世代だった遠藤さんは視点の広さや鋭さに驚かされることも多かったという。
「W杯もありましたし本当にすごい人気で、大神の練習グラウンドや傍の河川敷にはいつもたくさんファンの方がいました。警備員の待機場所となっていた小さな部屋がヒデへのプレゼントを置く部屋になるほどで。とんでもない数のプレゼントや手紙でしたけど、それもスーツケースに入れて持って帰っていましたし、丁寧にサインもしていました。世間的には近寄りがたいイメージがあったかもしれませんが、本当に優しい人でした」
3年目にマネージャーに抜擢
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フランスW杯後、中田はセリエA・ペルージャへ移籍。遠藤さんにも転機が訪れる。1999年、入社から3年目が経とうとしていた頃、マネージャー職への異動が命じられた。
マネージャーの仕事はスケジュールや公式戦用具の管理、遠征の手配、事務手続きと多岐にわたる。日本サッカーが盛り上がりを見せた時期とはいえ、当時はクラブスタッフの中に女性の割合はまだ少なく、ましてや女性がマネージャーになることはかなり珍しいことだった。
「“ベルマーレのマネージャー大丈夫?”とクラブが悪く思われるのが嫌で、毎日必死でした。もちろんロッカールームには入れませんし、シンプルに体力的に重い荷物が持てないとか物理的な面での悔しさはいつもありましたから」