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「ヒデは部屋いっぱいの手紙とプレゼントを…」じつは優しい中田英寿21歳の素顔…ベルマーレ伝説の広報が見た“呂比須の帰化とクラブ存続危機”
 

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石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

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photograph byL:Sankei Shimbun, R:Sachie Endo

posted2025/04/07 11:05

「ヒデは部屋いっぱいの手紙とプレゼントを…」じつは優しい中田英寿21歳の素顔…ベルマーレ伝説の広報が見た“呂比須の帰化とクラブ存続危機”<Number Web> photograph by L:Sankei Shimbun, R:Sachie Endo

(左)ベルマーレ平塚時代の中田英寿、呂比須ワグナーら (右)広報になる前、マネージャー職に抜擢された当時の遠藤さん(2000年頃)

 それでも、遠藤さんは体当たりで業務をこなした。アウェイ遠征時には自ら荷物車を運転して荷物を運搬。練習時には誰よりも早くグラウンドに姿を見せ用具やドリンクを準備し、練習後は後片付け。遠征時にはバックスタンドに掲げるチーム旗を入れ忘れてしまい、ゴール裏のサポーターに借りるという失敗談も。

「さすがに焦りましたね(笑)。取りに戻ることができなかったので、サポーターの方に急遽フラッグを貸していただいたんです。でも通常の1/4の大きさだったのでホームチームと比べると差は一目瞭然。まずいと思ってテレビの中継担当の方に『風が吹いたときは(旗を)映さないでください』とお願いしたこともありました」

 マネージャーに抜擢したのはクラブに入るきっかけにもなった当時監督の上田栄治だった。どんな時も笑顔と情熱でピンチを乗り切る遠藤さんが必要だった理由――じつはこの年、ベルマーレはクラブ存続危機の窮地に陥っていた。

〈つづき→第3回へ〉

#3に続く
「昨年12月に異動の内示が。私のわがままなんです」“Jリーグ名物広報”が退職を決めた理由…ベルマーレで愛された「29年間ありがとう」

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