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「送別会でも泣かなかったのに」Jリーグ大好き女子大生から“名物広報”へ…29年勤めたベルマーレをなぜ辞めたか「休暇中の旅先でポロポロと涙が」
posted2025/04/07 11:04

J1湘南ベルマーレの広報として活躍した遠藤さちえさん。今年2月で29年支え続けたクラブを離れた
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石井宏美Hiromi Ishii
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J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images
一人の広報がクラブを“卒業”した。
Jリーグ開幕から1週間。例年、この時期は多忙を極めているが、長年勤めた湘南ベルマーレを退社した遠藤さちえさんは、旅先で久しぶりの休暇を楽しんでいた。だが、気になるのは古巣のことばかり。数分おきにスマホで試合結果をチェックしていた。
敵地に乗り込んだ第2節セレッソ大阪戦、ベルマーレは2-1で勝利し、開幕2連勝を飾った。「よかった」。そう安堵した次の瞬間、遠藤さんの目から涙がポロポロとこぼれ落ちた。
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遠藤さんにとって最後の試合となった開幕戦の鹿島アントラーズ戦の後も、クラブのスタッフが開いてくれた送別会でも、一度も涙はなかったのに。
「えっ……今、泣くの?って。自分でもびっくりしました」
そこにもう自分はいない――そうあらためて実感すると、急に寂しさがこみ上げてきたのだった。
旋風を巻き起こした“湘南の暴れん坊”
フジタサッカークラブから改名したベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)がJリーグに参入したのは1994年のこと。開幕した1993年にJFL1部に所属しており、ジュビロ磐田、柏レイソルと激しいデッドヒートを繰り広げて優勝を果たし、2枠のJリーグ昇格を勝ち取った。
Jリーグの舞台に立ったチームは前期にあたるサントリーシリーズで12チーム中11位に沈んだが、後期のニコスシリーズでは2位に躍進。さらにシーズン最後の天皇杯では、翌シーズンからJリーグ参入を控えていたセレッソ大阪を下してベルマーレとして初優勝を飾った。スーパールーキー中田英寿が加入した1995年はリーグこそ14チーム中11位に沈んだが、アジアのクラブ王者に輝くなど、「湘南の暴れん坊」としてJリーグに旋風を巻き起こしていた。
遠藤さんがベルマーレの一員になったのはちょうどその頃。クラブとしてJリーグ加盟3期目が始まろうとしていた1996年2月だった。