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「送別会でも泣かなかったのに」Jリーグ大好き女子大生から“名物広報”へ…29年勤めたベルマーレをなぜ辞めたか「休暇中の旅先でポロポロと涙が」
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石井宏美Hiromi Ishii
photograph byJ.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Images
posted2025/04/07 11:04
J1湘南ベルマーレの広報として活躍した遠藤さちえさん。今年2月で29年支え続けたクラブを離れた
高校時代はサッカー部でマネージャーを経験。盛り上がるJリーグのクラブで働きたいと考えていたが、当初はどんな仕事があるのかさえもよく理解していなかった。とにかく「働きたい」と複数のクラブへ手紙を送り、電話をかけてアプローチした。そんなふうに“就職活動”を続けていたある日、何度も連絡をしていたベルマーレの上田栄治(当時は統括部長)から連絡があった。
「ポルトガル語は話せますか?」
前身の藤和不動産時代からブラジル人助っ人をうまく起用し、四半世紀にわたって日本のアマチュアサッカーを支えてきた古豪。外国人選手の生活に対する配慮はもちろん、家族へのケアも手厚く、子どもの教育や妻の出産、日常の買い物など目配りの利いたサポートは当たり前となっているが、当時はクラブもJリーグに加入したばかりで人手が足りなかった。監督のトニーニョ・モウラを始め、パウリーニョ、ルイス、ベッチーニョ、アウミール、シモンとブラジル人選手が多く在籍し、通訳一人ではサポートしきれず、ケアを担当するスタッフの補充は急務だった。
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そんな時、外国人選手やその家族のお世話係として遠藤さんに白羽の矢が立ったのだ。当時の遠藤さんはポルトガル語はおろか、語学の知識はゼロ。経験不足は否めなかったが、それを上回る遠藤さんのやる気がクラブに伝わった。

