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「じつは私、巨人のスカウトなんです」内海哲也でも西村健太朗でもなく…実家の居酒屋に通い詰めるほどホレた左腕とは《2003年ドラフト裏話》
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長谷川国利Kunitoshi Hasegawa
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/08 11:04

2000年代から2010年代にかけて巨人救援陣の核となった西村健太朗。高校時代のドラフト裏話とは
高校時代から内海のピッチングは当然見ています。柔らかさはあったもののまだ“ぐにゃぐにゃ”している印象で、力強さはありませんでした。内海と同じ年の高校生左腕では七尾工(石川)の森大輔がいました。内海より馬力があって、1試合で23奪三振を記録するなど、横浜では担当スカウト高浦美佐緒さんが内海よりも森を高く評価していました。
その後、森はプロへは進まずに高浦さんの出身チームでもある社会人の三菱ふそう川崎に進み、この年の自由枠で横浜に入団しています。ただ、社会人でフォームを崩したこともあり、プロでは一軍に上がることはできませんでした。
内海も社会人で相当打ち込まれた試合も見ましたし、正直ボールもそんなに来ているような感じはありませんでした。プロに入ってからしばらくは思うように勝てなかったのもある意味不思議ではなかったという印象です。それでも結婚してから野球に集中するようになって、取り組みが変わって成績も良くなりました。
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技術的には変化球が良くなりましたね。チェンジアップとスライダーを同じ軌道から変化させられるようになったのが大きかったと思います。最終的には巨人のエースにまで成長しました。そういう意味では奥さんに感謝ですね。
西村よりも高く評価していたサウスポーとは
自由枠のもう一つは使わずに広陵の右腕、西村健太朗を2巡目で指名しましたが、西村より先に高く評価していたのが浦和学院の左腕、須永英輝でした。
左ピッチャーでコントロールも良いことから、早くから使えるだろうと評価していました。ご両親が荒川区の町屋で居酒屋さんを営んでおり、私は担当ではなかったのですが地元が近いということで、スカウト部長の吉田孝司さんからの指示で何度か通いました。最初は怪しまれないように妻も同伴して行き、ご両親に認識されたかなという何度目かの来店のときに「実は私、巨人のスカウトなんです」という話をしました。
5回以上は通ったと思います。本人はどこの球団に行きたいという強い意志はなかったと思いますが、ご両親は東京出身ということもあって巨人を希望してくれていました。
原監督は「須永も西村も2人とも獲れないの?」
ところが2巡目で先に指名したのが日本ハムでした。数年後にトレードで巨人に来ることになりましたが、その後のドラフト指名を巡る日本ハムとの因縁はこの頃から始まっていたのかもしれません。