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「お前、行きたい球団はあるのか?」監督から問われ…“逆指名導入元年”の巨人ドラ1指名選手が振り返る“ドラフト狂騒曲”「いざ決めるとなると…」 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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posted2025/04/07 11:01

「お前、行きたい球団はあるのか?」監督から問われ…“逆指名導入元年”の巨人ドラ1指名選手が振り返る“ドラフト狂騒曲”「いざ決めるとなると…」<Number Web> photograph by KYODO

1993年のドラフトで導入された逆指名制度で、巨人初のドラフト1位となった三野勝大。入団に至るまでは新制度ならではの紆余曲折もあったという

 三野が入学した90年時点で東北福祉大は、すでに毎年のように全国大会に出場する強豪だった。翌91年の全日本大学野球選手権では、関東と関西、愛知を除く、いわゆる「地方の大学」として初めての優勝を成し遂げた。

 さらにこの年は、ドラフト史においても記録を残していた。

 日本選手権制覇の中心選手から、エースの斎藤隆が横浜大洋(現DeNA)に1位指名。作山和英がダイエー(現ソフトバンク)2位、浜名千広が同3位、金本知憲が広島4位、伊藤博康が巨人4位と、1チームから5人もの選手をプロに輩出した。これは昨年、富士大から育成選手を含め6人が指名されるまで最多タイの人数だった。

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 この5人の精鋭に加え、三野の同学年には早くも頭角を現していた関根裕之がいた。全国から集結した猛者たちが、高校で無名だった選手を大いに刺激する。

 自らを憐れむくらい控え目な言葉を並べていた三野が、珍しく発言に力を込める。

「野球を続けている限りはプロを目指していましたからね。運よく大学にはとてもレベルの高い先輩がいましたし、関根もライバル視していたんで。『あの人たちと同じレベルにまで自分を高めたい』と思いながら努力するようになりました」

 一度に5人もの選手がドラフトで指名されるほど「プロ」が身近にあったことが、三野の練習意欲を駆り立てていく。

大学3年で…「プロに行けるんじゃないか?」 

 鍛錬のなかでとりわけ精力的に励んでいったのがウエートトレーニングだった。186センチだった長身に80キロを超える体重が備わったことで、高校時代に130キロ台だったストレートも140キロを超えるようになった。大学3年になると関根とともに主戦を任されるようになった三野は、「もしかしたら、プロに行けるんじゃないか?」と、現実的な目標として捉えられるようになったという。

 そして、大学4年になった93年。三野は「最速147キロ右腕」として注目を浴びるまでに飛躍を遂げ、ドラフト候補となった。

【次ページ】 「逆指名制度元年」ゆえの喧騒…葛藤も

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