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「『ベイスターズ買ってくれよ』って俺が言ったんだ」マルハの球団譲渡の真実…球史を裏で動かした“ハマのドン”藤木幸夫が独白する「野球愛」
posted2025/04/02 11:22

左端が「ハマのドン」こと藤木氏。右端はかつての「ハマのプリンス」、当時監督の山下大輔。そして藤木氏の隣は…!?
text by

赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph by
Fujiki Kigyo
「野球がなかったら、俺はとっくの昔に懲役に行って、今ごろ死刑囚になってるよ」
そう言って豪快に笑う藤木幸夫氏を知るプロ野球ファンは、果たして世間に何人いるだろうか。しかし、横浜DeNAベイスターズには、“ハマのドン”と異名を取るこの人物を知らない関係者はほとんどいないはずだ。
1930年、横浜市出身の94歳。横浜港の港湾・倉庫荷役事業の最大手・藤木企業の2代目経営者(現取締役相談役)にして横浜港振興協会会長、横浜港ハーバーリゾート協会会長でもあり、政財界と深く幅広いつながりを持つ。
戦後の横浜復興に尽力した日本有数の実業家である半面、県立神奈川工業学校(現県立神奈川工業高校)野球部に所属していた経験から、野球振興にも熱心に取り組んできた。神奈川県野球協議会会長としてアマチュア球界を牽引する傍ら、かつてはベイスターズの本拠地・横浜スタジアムの取締役会長も務めている。〈全3回の3回目/はじめから読む〉
そう言って豪快に笑う藤木幸夫氏を知るプロ野球ファンは、果たして世間に何人いるだろうか。しかし、横浜DeNAベイスターズには、“ハマのドン”と異名を取るこの人物を知らない関係者はほとんどいないはずだ。
1930年、横浜市出身の94歳。横浜港の港湾・倉庫荷役事業の最大手・藤木企業の2代目経営者(現取締役相談役)にして横浜港振興協会会長、横浜港ハーバーリゾート協会会長でもあり、政財界と深く幅広いつながりを持つ。
戦後の横浜復興に尽力した日本有数の実業家である半面、県立神奈川工業学校(現県立神奈川工業高校)野球部に所属していた経験から、野球振興にも熱心に取り組んできた。神奈川県野球協議会会長としてアマチュア球界を牽引する傍ら、かつてはベイスターズの本拠地・横浜スタジアムの取締役会長も務めている。〈全3回の3回目/はじめから読む〉
71回目の誕生日の直後の2001年8月20日を、藤木氏はシアトル・マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドで迎えた。当時は、イチローがオリックスから移籍して1年目。マリナーズのオーナーのひとりでもあった任天堂アメリカの関係者に招かれたのである。
「あの時は、場内アナウンスで『ミスター・フジキ、2回裏が終わったら、必ず席にいてくださいね』と言われてさ。何だろうと思ったら、俺の席の周りにコーラス(のグループ)がいて、『ハッピー・バースデー』を歌ってくれたんだ。電光掲示板にも『ハッピー・バースデー』って文字が出て、花火がパンパン上がってたな」
「球団を売ろうと思うんで相談に」
01年は藤木氏にとって、そんなうれしい思い出がある一方、大変な難題に直面した年でもあった。ベイスターズの親会社マルハから球団を譲渡したいという相談を受けたのだ。
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「あのころ、プロ野球のシーズンが終わった時に中部(慶次郎オーナー)がここ(藤木企業本社の応接室)に来て、大洋漁業(マルハの旧社名)がね、『経済的に具合が悪い』と言うんだよ。それで、『球団を売ろうと思うんで、相談に来たんだ』と。
そりゃね、一番大事なのは野球じゃないよ、本社だよ。(野球のような)道楽をすれば、カネは反対の方向へ流れるんだから」