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「藤浪が161球投げさせられた」事件…金本知憲の“懲罰采配”、藤浪晋太郎がいま明かす「あの日のこと」大阪桐蔭で甲子園連覇→阪神エースの“苦悩”
text by

中村計Kei Nakamura
photograph byJIJI PRESS
posted2025/03/29 11:07

2016年7月8日の広島戦。先発した藤浪晋太郎は計161球を投げた
「悩んでいたんだろうなっていうフォームをしていますよね。そんなんでストライク入るわけないよなって。それでも毎日、一生懸命練習してたんですよ」
ずばり問う「阪神で心は折れなかったのか?」
進むべき方向を間違えていることに気づいたときには、すでに手遅れだった。
「いろいろやり過ぎると、本当にわからなくなっちゃうんですよ。人間って、(昔と)同じ感覚では投げられないんですよね。OSを変えちゃったものは。もう、戻そうとして戻るもんではなかったですね」
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藤浪のプロでのキャリアを語るとき、とかくメンタルの弱さを指摘されがちだ。だが、話に耳を傾けながら、並の神経だったらとっくにボールを投げられなくなっていたのではないかという気もした。
「心がポキッと折れることはなかったですね。今まで一回も。何を言われようが、どんだけ叩かれようが、成績が悪かろうが、もう俺は……ってなってしまうことはなかった。こんな状況からでも、まだまだうまくなれると思っていたし、もう一回、大舞台でビシッと抑えて、大歓声を浴びて、自分がヨッシャーって吠えている場面を想像しながら、毎日、練習していたので。食欲もありましたし。食が細くなるということはないんで。そういう意味ではメンタルは強いかもしれないですね」
メジャー挑戦を決めるまで
打ちのめされながらも、こんな強かさも身につけていた。
初めて開幕を二軍で迎えた2019年、藤浪は8月1日に一度だけ甲子園のマウンドに立った。1球投げるごとに大歓声が上がったが、もはやそんな大衆心理に流されるほどうぶではなかった。
「嬉しかったというのもありますけど、うがった見方をすると、みんな落ちて上がってくる人が好きなんやな、って思いましたね。そういうストーリー、好きなんやなって」
新型コロナが大流行した2020年、藤浪は中継ぎとして、復活の兆しを見せ始めていた。メジャー挑戦の希望を球団に伝えたのは、その年のオフのことだった。
〈つづく〉
