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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「両親もつらい時期だったかと」イップスに襲われた山本由伸世代のドラ3新人「キャッチボールすら…」元ロッテ右腕26歳は、大学院生になっていた
posted2025/01/19 11:04
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Sankei Shimbun
トライアウトで151キロ…今は慶大大学院にいた
2024年11月14日、ZOZOマリンスタジアムで行われた12球団合同トライアウトには投打45人の選手が登場した。最後のマウンドに上がったのが昨季もしくは近年に戦力外通告を受けた選手ではなく――元ロッテ投手の島孝明(26歳)だった。2019年を最後に、プロ野球界を去った島は5年ぶりのマウンドながら151km/hを計測し、関係者を驚かせた。
終了後、島は囲み取材に応じた。トライアウトでは、ときに涙を見せたり、固い表情になる選手が多い。その中で、島は終始、晴れやかな顔で報道陣に応えた。マウンド上も、取材対応も異例の出来事だった。
ロッテを退団してから5年、なぜ島はそれだけのストレートを投げ込めたのか。じつは彼は、2024年春から慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科で学んでおり、湘南藤沢キャンパスで話を聞いた。そもそも彼は、どんなきっかけで野球を始め、プロへの扉を開いたのか。
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「関西で生まれましたが、育ったのは千葉の佐倉、長嶋茂雄さんの故郷です。3歳くらいの時に父とキャッチボールをしたのが野球との出会いでしたね」
小学校では地元のジュニアコスモスという軟式チームに入った。「友達もたくさん野球をやっていたので、一緒にやりたいなと思った」のがきっかけで、中学校はリトルシニアに入った。島は当初はキャッチャーを務めたのち、投手になったとのことだった。「球はそこそこ速かったのですが、変化球を投げるのが苦手」で、ほぼまっすぐだけの投球だったという。
「監督は、投手向けの特別な練習はあまりさせない人で、全体でノックを受けたり、外野でアメリカンノックをしたり、ひたすら走ったり。でも、練習を強制されることはなかったですね」
練習時間が短い高校でなぜ急成長したのか
高校は東海大市原望洋、2010年春の甲子園に初出場。強豪ひしめく千葉では新興勢力と言えよう。
「リトルシニアの監督に『選手を育成する環境なので、ここがいいんじゃないか』と勧められました」
東海大市原望洋の特徴として、平日は2時間ほどと練習時間が非常に短かった。限られた時間の中で、効率よく練習しなければならない。どういう練習がいいのかを、自分なりに思考していったという。