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「両親もつらい時期だったかと」イップスに襲われた山本由伸世代のドラ3新人「キャッチボールすら…」元ロッテ右腕26歳は、大学院生になっていた 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph bySankei Shimbun

posted2025/01/19 11:04

「両親もつらい時期だったかと」イップスに襲われた山本由伸世代のドラ3新人「キャッチボールすら…」元ロッテ右腕26歳は、大学院生になっていた<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2024年のトライアウトで最速151キロをマークした島孝明。プロ野球を離れて5年、彼は何をしていたのか

「監督も、ああしろ、こうしろとは言わなくて、基本的に自主性に任せられていました。自分で考えてやらないと一向に成長しない環境なので、毎日、自分で考えて練習していました」

 その指導法が合っていたのだろう。島は次第に注目される投手になっていく。球速が一気に上がったのは2年秋頃だった。投げ込みをあまりせず、体のトータルバランスを高めていく練習を中心にすると、効果が出た。

「体の動かし方とか連動性を、重点的に練習しました。当時、田中将大投手が活躍していましたが、球も速くて制球力もしっかりあって勝っていたので、憧れの存在になりましたね。月1回くらいの契約で来ているトレーナーの方がいたんです。普段は整形外科に勤務していて、僕もたまに怪我をしたときなどに治療に行って、治療をしながらトレーニングの指導もしていただきました」

山本由伸と同世代…「当初は大学に行こうかな」が

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 2016年、3年生は、1年後輩の金久保優斗(現ヤクルト)と二枚看板で夏の全国高校野球選手権千葉大会に臨んだ。準々決勝の木更津総合戦で7回途中から金久保をリリーフして無失点に抑えたものの0対1で惜敗。木更津の先発は早川隆久(現楽天)だった。

 この春の千葉大会で島は153km/hの球速を記録した。その頃からスカウトが球場に来ていたため、いわゆる〈プロ注目〉の扱いであることに気づいた。

 ただその一方で「親からは『大学に行ってくれ』と言われていたんです」と、当時の状況についてこう振り返る。

「それまでは自分も『大学に行こうかな』と思っていたんですが、高校で活躍し始めてから、ちょっと考え方が変わってきて、“行けそうならプロに行こうかな”と、プロ志望届を出しました。父母は心配だったと思いますが、自分で勝手に決めてしまった感じです」

 なおこの年、高校ドラフト「ビッグ4」と呼ばれたのは履正社・寺島成輝、横浜・藤平尚真、花咲徳栄・高橋昂也、作新学院・今井達也の4人である。寺島はヤクルト、藤平は楽天、今井は西武が1位で単独指名、高橋は広島が2位指名。その他の高卒では日本ハムが広島新庄の堀瑞輝を田中正義、佐々木千隼の外れ外れ1位で指名された。島はそれに続くグループで、ロッテが3位で指名した。

 何よりこの世代で最も有名になったのは、この時点では無名だったが――オリックスから4位で指名された、都城の山本由伸だった。

ロッテ1年目、発症した「イップス」

 千葉ロッテの春季キャンプ、島は二軍スタートとなった。

【次ページ】 いろいろなことが重なって大きなストレスに

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