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青学大の箱根駅伝“黄金の4連覇”を支えた「二軍寮」のナゾ…原晋監督は「這い上がってこい」でも「崖っぷちなのは事実」 経験者が語るサバイバル 

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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photograph by(L)JIJI PRESS、(R)本人提供

posted2025/01/21 11:01

青学大の箱根駅伝“黄金の4連覇”を支えた「二軍寮」のナゾ…原晋監督は「這い上がってこい」でも「崖っぷちなのは事実」 経験者が語るサバイバル<Number Web> photograph by (L)JIJI PRESS、(R)本人提供

2015年から2018年まで、箱根駅伝4連覇という偉業を達成した青学大。その金字塔を支えた“叩き上げ”選手を生んだ「二軍寮」のリアルを聞いた

 とはいえ、待遇面で一軍と二軍とではほとんど差はなかった。池田さんも「二軍寮に行くことが“地獄落ち”みたいなことではなかった」と苦笑する。

 一方で、二軍にいることが“崖っぷち”を意味しているのも事実だったと2人は口を揃えた。

「マネージャーはいるものの、もちろん監督と比べればチェックは緩い。サボろうと思えばサボれてしまう。だからこそ、試されている環境ではあったと思います。大学2年生、3年生になっても芽が出なかった場合、このまま競技を続ければ就職活動にも影響してくるという理由で、監督からマネージャーになるか、競技を引退するか、その選択を迫られることが往々にしてあります。そのギリギリにいるのが二軍のメンバーなのであって、甘えていられない環境ではありました。実際にマネージャーになった人には、二軍寮を経験している人が多かったです」(池田さん)

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 だからこそ、どんなに居心地が良かろうと、いつまでも二軍寮に居座り続けるわけにはいかなかった。

「二軍に行ったら『強くなって戻ってこられる』みたいなことも言われていましたが、やっぱり『行きたくない』という気持ちのほうが大きかったです」

 田村さんもこのように話すように、“地獄”ではなくとも、二軍寮は好き好んで行きたい所ではなかった。

寮のメンバー入れ替えは「半年に1度」

 町田寮と二軍寮の入れ替えは半年に1回あった。

 3月と8月の全体ミーティングで町田寮の部屋割りが決まり、同時に二軍寮行きの選手が原監督から発表された。

 2年生に上がる際、池田さんにはその予感があったという。

「基本的に1年生は全員町田寮で過ごすので、2年生になると二軍寮に行かなければならない者が出てきます。私がそれでした」

 長野の強豪・佐久長聖高出身の池田さん。「箱根駅伝を走りたい」という思いから、箱根の常連校になりつつあった青学大を志願した。当時はまだ、いまのような優勝候補ではなく「青学大ならレギュラーを取れるかもしれない」というひそかな目論見もあった。

 ところが、いざ念願叶って入学してみると、1学年上には神野大地や久保田和真といった強力なメンバーが集まっていた。青学大は、箱根で「優勝を目指すチーム」に変貌を遂げていた。

【次ページ】 二軍寮行きを通達…心中は「うわ、まじか」

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