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「ワシはもう死んだものと思ってくれ…」“高校サッカー最大の誤審”はなぜ起きたか? 作陽・青山敏弘のVゴールを見逃した審判の苦悩22年

posted2025/01/20 11:01

 
「ワシはもう死んだものと思ってくれ…」“高校サッカー最大の誤審”はなぜ起きたか? 作陽・青山敏弘のVゴールを見逃した審判の苦悩22年<Number Web> photograph by Takahito Ando

22年前の資料を手に、のちに「誤審」と認められた作陽vs水島工業戦を振り返った青木隆さん(66歳)

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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Takahito Ando

 2002年11月、高校サッカー岡山県大会決勝・作陽vs.水島工業。勝てば選手権出場が決まる緊迫した一戦で、後に「誤審」と認められるジャッジがあった。高校生の夢が途絶えたことで、矛先は当然、審判団に向けられる。あの時、一体何が起こっていたのか。当時の主審・青木隆(66歳)が静かに口を開いた。【NumberWebノンフィクション全3回の1回目】

 2024年12月22日。冬晴れの日差しがピッチを照らした。

 この日、岡山県倉敷市にある作陽学園高校のグラウンドには、懐かしい顔ぶれがそろっていた。ユニフォーム姿になったのは現役の高校生ではない。作陽高校と水島工業高校の不惑を迎えたサッカー部員たちが、20年以上の時を経て集結していたのだ。

 このOB戦で主審を務めた青木隆は、特別な想いで笛を手にした。

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「あの誤審は私が一生背負っていくもので、そこから目を背けてはいけない。そう思って生きてきました」

高校サッカー界が揺れた大誤審

 22年前の2002年11月10日、第81回全国高校サッカー選手権大会岡山県予選の決勝・作陽vs水島工業戦。両校の試合が、今も語り継がれるのには理由がある。

 世紀の大誤審――そう呼ばれる試合の主審を務めたのが、青木だった。

 舞台は倉敷運動公園陸上競技場。全国大会の切符を懸けた一戦はどちらも譲らず1-1で延長戦に突入。そこで悲劇は起きた。

 当時、2年生だった作陽MF青山敏弘が放った弾丸ライナー性のミドルシュートは、横っ飛びした水島工業GK宮本寛の指先をかすめ、左ポストに直撃。ボールはそのままゴールラインを越え、右奥にある“内ポスト”に当たった。

 ゴールが決まれば試合終了のVゴール方式だったため、青山は両手を広げながらベンチに駆け寄った。作陽イレブンは勝利を確信し、水島工業のほとんどの選手が敗北を受け入れた。

 しかし、なぜかボールはピッチに戻っていた。内ポストを叩いたあと、右ポストに当たってピッチに跳ね返っていたのだ。これがジャッジを混乱させる。

 行方を見失っていたGK宮本は目の前にこぼれたボールをキャッチすると、すぐに前に蹴り出した。主審の青木は、試合続行という判断を下す。

【次ページ】 「終わり!」ピッチに戻らない青山敏弘

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