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「ワシはもう死んだものと思ってくれ…」“高校サッカー最大の誤審”はなぜ起きたか? 作陽・青山敏弘のVゴールを見逃した審判の苦悩22年
posted2025/01/20 11:01
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
2024年12月22日。冬晴れの日差しがピッチを照らした。
この日、岡山県倉敷市にある作陽学園高校のグラウンドには、懐かしい顔ぶれがそろっていた。ユニフォーム姿になったのは現役の高校生ではない。作陽高校と水島工業高校の不惑を迎えたサッカー部員たちが、20年以上の時を経て集結していたのだ。
このOB戦で主審を務めた青木隆は、特別な想いで笛を手にした。
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「あの誤審は私が一生背負っていくもので、そこから目を背けてはいけない。そう思って生きてきました」
高校サッカー界が揺れた大誤審
22年前の2002年11月10日、第81回全国高校サッカー選手権大会岡山県予選の決勝・作陽vs水島工業戦。両校の試合が、今も語り継がれるのには理由がある。
世紀の大誤審――そう呼ばれる試合の主審を務めたのが、青木だった。
舞台は倉敷運動公園陸上競技場。全国大会の切符を懸けた一戦はどちらも譲らず1-1で延長戦に突入。そこで悲劇は起きた。
当時、2年生だった作陽MF青山敏弘が放った弾丸ライナー性のミドルシュートは、横っ飛びした水島工業GK宮本寛の指先をかすめ、左ポストに直撃。ボールはそのままゴールラインを越え、右奥にある“内ポスト”に当たった。
ゴールが決まれば試合終了のVゴール方式だったため、青山は両手を広げながらベンチに駆け寄った。作陽イレブンは勝利を確信し、水島工業のほとんどの選手が敗北を受け入れた。
しかし、なぜかボールはピッチに戻っていた。内ポストを叩いたあと、右ポストに当たってピッチに跳ね返っていたのだ。これがジャッジを混乱させる。
行方を見失っていたGK宮本は目の前にこぼれたボールをキャッチすると、すぐに前に蹴り出した。主審の青木は、試合続行という判断を下す。