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青学大の箱根駅伝“黄金の4連覇”を支えた「二軍寮」のナゾ…原晋監督は「這い上がってこい」でも「崖っぷちなのは事実」 経験者が語るサバイバル
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by(L)JIJI PRESS、(R)本人提供
posted2025/01/21 11:01
2015年から2018年まで、箱根駅伝4連覇という偉業を達成した青学大。その金字塔を支えた“叩き上げ”選手を生んだ「二軍寮」のリアルを聞いた
さらに、池田さんは大学1年の夏に脚を骨折してしまう。12月まで練習をまともにできず、復帰を果たしてからもハーフマラソンで1時間8分台、9分台と凡走を連発。二軍寮行きを言い渡されるのには十分なほど理由があった。
「そのタイムや実績では、いつ(二軍寮行きが)言い渡されるか分からない状態なので、リーチがかかっているなという意識はありました。正直、妥当だよなと。だから『なんで自分が……』とは思いませんでした。とはいえ、もちろん同時に悔しさや不安もありました」
池田さんは自分が置かれている状況を冷静に分析しつつも、その悔しさを一軍に這い上がるための糧にした。
二軍寮行きを通達…心中は「うわ、まじか」
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田村さんもまた「絶対に箱根を走ってやる」という思いで、鳥取から関東の青学大に進んだ。1年目から継続して練習をこなし、夏の北海道合宿のメンバーにも選ばれていた。
「決められた練習をしっかりとこなした上で、結果を出し、食らいついていくしかないと思っていました。1年目は本当に全部が新鮮で、一瞬で流れていきました」
自己記録もわずかながら更新し、着実に力を付けている実感はあった。しかし、駅伝のメンバー争いには加われず、進級時に池田さんと共に二軍寮行きが決まった。
「いざ行くことになると、『うわ、まじか』と思いましたし、『行きたくない』という気持ちもありました。でも、実績的には(二軍寮行きが)『ありえるな』ぐらいの状況だったので、青天の霹靂みたいな感じではありませんでした。他の人に比べたら、実力が足りていない部分はどうしてもあったので……原監督も『這い上がってこい』ということだったのだと思います」
自身の成長を実感していただけに、田村さんは「ケガさえしなければもっと伸びる」と信じて、これまで以上にケアに気を遣って一軍復帰を目指した。
<次回へつづく>