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「ビリなのになんで笑顔なの?」青学大“箱根駅伝33年ぶり復活出場”で「気分は優勝」の最下位ゴール秘話…原晋監督も「お祭り気分でいいから」 

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和田悟志

和田悟志Satoshi Wada

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photograph byAFLO

posted2025/01/13 11:03

「ビリなのになんで笑顔なの?」青学大“箱根駅伝33年ぶり復活出場”で「気分は優勝」の最下位ゴール秘話…原晋監督も「お祭り気分でいいから」<Number Web> photograph by AFLO

2009年の箱根駅伝に33年ぶりに出場した青学大。ゴールしたチームの中では最下位だったが、笑顔のガッツポーズでのフィニッシュだった

 頼みの荒井をもってしても、区間21位と後方からのスタートになった。

 当時、最も原監督が頭を悩ませていたのがエース区間の2区だった。宇野が当時の状況を振り返る。

「2区を走るのが誰か、誰も予想できなかった。それぐらい候補がいなかった」

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 2区にサプライズ起用された4年の松野祐季は区間22位で最下位に順位を落としたものの、3区では3年の米澤類が5人抜きの奮闘を見せて盛り返す。

 4区の先崎は区間21位に沈んだものの、復路では下級生が快走を見せた。8区で1年生の小林剛寛が区間11位、9区で2年生の辻本啓吏が区間6位。彼らの奮闘もあって、1本の襷は繰り上げスタートに遭うことなく大手町に帰ってきた。

 そして、冒頭の場面だ。順位は22位でも、箱根駅伝に出場できる喜びを最も噛み締めていたのが、青学大だった。

 笑顔の宇野を、やはり笑顔で待ち構えていた荒井は次に目を向けていた。

「今回は出るだけで満足だったけど、来年は結果を残さなきゃって」

翌年にはシード獲得…今や駅伝界屈指の強豪校に

 実際に荒井が主将を務めた翌年度に8位に入ると、そこからシード校の常連に。そして15年大会で神野大地らを擁して一気に頂点に駆け上がると、そこから4連覇を達成。今や大学駅伝界屈指の強豪校になった。

「テレビで見せている後輩たちの明るい雰囲気は、私たちの頃から変わっていないと思います。あのゴール、世間の反応はビリなのになんで笑顔なの? だったと思うんですけど、あれで青学の文化ができたんだと思っています」

 先崎にはそんな自負がある。あの明るい雰囲気に憧れて青学大を選ぶ選手は多い。

 2009年の大手町、あの笑顔のゴールこそが、強豪校へと駆け上がる礎となっているに違いない。

<第1回から続く>

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「みんな(原晋)監督のことも信用できなくなって…」16年前の箱根駅伝…青学大“33年ぶりの復活出場”のウラにあった「チーム崩壊の危機」

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