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「ビリなのになんで笑顔なの?」青学大“箱根駅伝33年ぶり復活出場”で「気分は優勝」の最下位ゴール秘話…原晋監督も「お祭り気分でいいから」
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph byAFLO
posted2025/01/13 11:03
2009年の箱根駅伝に33年ぶりに出場した青学大。ゴールしたチームの中では最下位だったが、笑顔のガッツポーズでのフィニッシュだった
荒井は練習日誌にこう記した。
〈何とか通過! やっとの思いだ〉
33年ぶりとはいえ、青学大にとっては初出場のようなものだった。
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「今考えると、舞い上がっている部分がありましたね。本戦に出られることがうれしすぎて集中できていませんでした」(宇野)
予選会後のミーティングで具体的な目標順位を話し合い、シード権獲得に狙いを定めたが、実際には現実的ではなかった。
当時の青学大では予選会の前に、本戦に出場した場合を想定し、予選会の1週間前に各選手に仮想の出走区間を言い渡すのが恒例だった。先崎が言い渡されていたのは自身も希望していた5区だったが、予選会後に再びケガを悪化させていた。
「予選会はなんとかなりましたが、この年はほとんど走り込めていなかったので、もう貯金がない状態。箱根の20kmは走れないだろうという感覚があったので、監督には『戦力にならないです』と伝えました」
ケガで辞退の主将に…監督は「お祭り気分でいいから走れ」
だが原監督は先崎の申し出を突き返した。
「『それを自分で決めている時点でダメだ。今回はお祭り気分でいいから走れ』と。それで、一番短い4区に入れてもらった。選ばれる状態ではなかったんですけど……」
先崎の状態は部内には知らされていなかった。荒井は「ぎりぎりのところで走っていたと、箱根が終わった後に聞きました。弱みを見せない人なので」と振り返る。
「ケガをしている選手が多かったし、監督の中では、なんだかんだで4年生は走れると判断したのでしょう。選手層も薄かったから、たぶんあのオーダー以外は組めなかったと思います」(宇野)
満身創痍で挑むことになった33年ぶりの箱根路は、序盤から下位に沈んだ。
予定通り1区を走った荒井は、スローペースにはまり本来の力を発揮できなかった。
「スタートの雰囲気に呑まれたのはすごく覚えていますね。調子は悪くはなかったんですが……前半がスローペース過ぎて、ぴょんぴょん上に跳ねるような走りになって、脚を使ってしまった。ボルテージが上がっていたので、どんどんいこうと思ったけど、うまく走れませんでした」