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甲子園春夏連覇の“琉球トルネード”に大学で悲劇が…島袋洋奨32歳に問う「高卒でプロの選択肢はなかったか?」意外な答え「微塵も後悔してません」
posted2025/01/10 11:03
text by
松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph by
Hideki Sugiyama
“黄金世代”の先頭を走っていた男
十数年に一度、ある学年にだけ突出した才能が集まることがある。
かつて野球界を「松坂世代」が席巻していた時代があった。1998年に甲子園春夏連覇を果たした“平成の怪物”松坂大輔を筆頭に、多士済々のライバルたちがプロ野球界を牽引した。
その松坂世代に勝るとも劣らないのが「1992年世代」だ。山田哲人(ヤクルト)、千賀滉大(ニューヨーク・メッツ)、甲斐拓也(巨人)、源田壮亮(西武)、有原航平(ソフトバンク)、山崎康晃(DeNA)など各チームの中心選手が揃う。しかし高校時代を振り返ると、この世代のリーディングプレーヤーは山田でもなければ千賀でもなかった。
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2010年に甲子園春夏連覇を達成した興南高校のエース、“琉球トルネード”こと島袋洋奨が、紛れもなく先頭に立っていたのだ。現在、宮城大弥がオリックスのエースとして活躍しているが、かつて興南史上最高の選手になると目されていたのは島袋だった。しかし、島袋が5年間のプロ生活で一軍のマウンドに立ったのは2試合のみ。2019年、静かにユニフォームを脱いだ。
あえて“たられば”を言うのであれば、島袋洋奨が高校卒業後すぐにプロに入っていた世界線はどうなっていたのだろうか。野球ファンなら誰もが一度は考えたはずだ。「甲子園春夏連覇のエース」の冠はそれほど煌びやかで眩しく、その冠に恥じないほどの実力を備えたピッチャーだと誰もが思っていた。
島袋洋奨32歳に聞く「選手としてのピークは?」
本人は、自身のキャリアをどう捉えているのだろうか。引退から5年が経ち、32歳になった島袋を訪ねた。現役時代と比べても、より精悍な顔つきになっていた。4年前に母校・興南高校の職員となり、現在は野球部コーチ兼副部長の肩書きを携えている。「野球選手としてのピーク」について問うと、まっすぐな眼差しで、ゆっくりと包み込むように口を開いた。