甲子園の風BACK NUMBER
「ヒジがぶっ飛びました」島袋洋奨が“壊れた”440球の異常な酷使…甲子園春夏連覇のエースを襲った“さらなる悪夢”「もうダメだ…完全に終わった」
posted2025/01/10 11:04
text by
松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph by
Sankei Shimbun
「投げることに対して、徐々に恐怖心や抵抗感が…」
いったい、進学先の中央大学で何があったのか。
大学3年の秋以降、島袋洋奨は“別人”になってしまった。少なくとも、高校時代の面影は完全に消え失せていた。
「とにかく東浜(巨/ソフトバンク)さんと投げ合いたかったですね」
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大学進学の理由について尋ねると、島袋は間髪入れずにこう答えた。彼の性格上、会話の流れのなかで適当に言ったわけではないだろう。
「センバツが終わった後に我喜屋(優)先生と相談して大学進学を決めた以上、プロ入りは微塵も考えていませんでした。何度聞かれても、高卒でのプロ入りはないです。当時、亜細亜大学で投げていた東浜さんのいる東都でやりたいと思っていました」
2学年上で2008年のセンバツ優勝投手・東浜巨とは高校1年夏の準決勝で投げ合っている。1対3で敗れはしたものの、「末恐ろしい1年生ピッチャーが出てきた」と県内の高校野球関係者は舌を巻いた。それでも、島袋にとって東浜は憧れの存在だった。
「東浜さんは亜細亜大に行っていきなり連続完封をやってのけたんです。『やっぱすげえ。同じリーグでやりたい』という願望が湧いたのを覚えています」
甲子園春夏連覇のエースとして抜群の注目度を誇った島袋は、中央大入学後の春季リーグ開幕戦で、48年ぶりに新人開幕投手に選ばれる。
「開幕第1戦と第3戦の駒澤大戦に先発で投げさせてもらったんですけど、めちゃくちゃ走られたんですよ。やっぱりこのレベルだと自分のセットの技術じゃ走られてしまう、フォームを変えないといけないな、と。その辺も含めて、少しずつズレていったんだと思います。身体の使い方を理解できていなかったから、戻り方がわからなくなり……。そこから投げることに対して少し、いや、少しじゃないな。徐々に恐怖心や抵抗感が生まれてきました」