- #1
- #2
野球のぼせもんBACK NUMBER
ソフトバンク戦力外→きくらげ農家に“ビックリ転身”「福岡の給食に採用」…千賀滉大・柳田悠岐ら“同期会ウラ話”「ギータさんが名前入りTシャツを」
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byJIJI PRESS
posted2024/12/30 11:03
しかも、我々がスーパーなどで見かけるきくらげといえば、乾燥して細切りにされているものだが、国産ならば輸入品では不可能な「生きくらげ」も取り扱える。加えて中原が育てるきくらげは、国内のほかの農家に比べても肉厚で、色も黒く輝いていて、とにかく希少性の高いものだという。
しかし、どの世界でもプロで飯を食うのに容易い道などあるはずがない。
農業を始めた最初の冬は薪ストーブを用いて温度管理を行っていたために家族が順番でビニールハウスの横のプレハブで泊まり込んだこともあった。ただ、そんな努力をしても事業がすぐに軌道に乗るわけではなく、無給状態で働いた時期もあったという。貯金を切り崩しての生活。ただ、元プロ野球選手だったとはいえ、育成選手のため年俸は高くない。入団時の契約金もない。300万円の支度金はもらっていたものの、高校の奨学金返済に充てていたためにこの頃には残っていなかった。
ADVERTISEMENT
「最初の頃は家族喧嘩が絶えませんでした。引っ越し業者時代は疲れ果ててワガママを言っても一度も喧嘩にならなかったのに、やっぱり一緒に仕事をするとなると考えをぶつけ合ったり。それだけ真剣に向き合っていたからとも言えますけど」
そんな中で大きな転機が訪れる。福岡市の学校給食に採用されることになったのだ。福岡では地産地消が推奨されていたが、きくらげについては県内に一定量を安定納入できる農家がなかったため他県のものを使用していたという。義父が知り合いの伝でそれを聞きつけ売り込みをかけたところ見事指名を受けることになったというわけだ。以降、堅実に取引先を増やした。現在は青果の卸売業者ともパイプができて県内のスーパーに商品を並べられるようにもなっている。
嫌いになった野球…なぜ再開?
地に足をつけて新たな道を歩むことができるようになると、心の奥底にしまい込んでいた思いが顔を覗かせるようになった。
「僕は本当に野球が嫌いなのだろうか」
最初に気づかせてくれたのは長女だった。学校の同級生や近所の男の子が家に遊びに来ると「野球を教えて」とせがまれた。そんなことを繰り返すうちに子供たちに教える楽しさが胸に沸いてきた。